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「忖度」が悪いわけではなくて、首相夫人が私立学校の名誉校長になったことが問題なのだ

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 「他人の心中をおしはかること」これは、問題だと思うか(悪いことだと思うか)と聞かれたら、大半の方が、問題だとは思わない(悪いことだと思わない)と答えると思います。私も、そう思います。

 この一連の森友学園騒動で、初めて私は「忖度」という言葉を知りました。籠池さんは本当によく言葉を知ってらっしゃいます。また、それを上手につかいます。「事実は小説より奇なり」や「忖度」などの言葉が、あの場(どんな質問があるかは、事前に通知されていない!)で瞬時に口から出るとは、強者です。個人的にお話させていただきたいと思いました。この「忖度」という言葉を巡って様々な意見が聞こえてきます。中には「忖度」を「わいろ」と同義にしている方も見られます。

 「忖度」を辞書で調べると「他人の心中をおしはかること」とあります。この行為自体は、先に触れたように問題でもなければ悪いことでもありません。明確な指示や命令がなくても、上司や先方の意図を汲んで行動にうつすことは、普通に行われています。丁寧な報告を求める上司と、端的な報告を求める上司(上司に限らず、同僚でも部下でもよいのですが)とでは、対応の仕方が当然異なります(どちらがいいとか悪いとかいう問題でもありません)。また、先方が忙しそうにしていたら、急用でもない限り少し時間を置くでしょう。逆に言えば、こうした周囲の心の機微を理解できない人は、社会人として合格とは言えません。

 朝日新聞の記事では、「忖度」は「今では通じぬ」として、大学教授のコメントを載せています。引用します。

甲南大学阿部真大准教授(社会学)は、「忖度文化は、社会が同一の価値観で動いていた時代には効率的に働いたシステム」と言う。「考え方が多様化した現代では、忖度が前提の『言わなくてもわかるでしょ』という道理は通じない。霞が関や永田町などムラ社会の色が濃いところにしか残っていないのではないか」

 私の周囲を見渡す限り、そんなことはありません。大学教授の世界は、割と自由業的な雰囲気がありますのでそうかもしれませんが、私の周囲では「忖度」ががっちり残っています。

 社会的立場が上になるほど、この「忖度」を受ける場合が多くなります。例えば、昇進したり、当選したりといった場合、周囲がその方に対していろいろな「忖度」行動に出るでしょうし、それは当たり前のことです。繰り返しますが、「忖度」は普通に社会ではありますし、悪いことではありません。

 問題なのは、忖度する側ではなく、忖度される側にあります。社会的立場が上の方々は、自らが「忖度される」側であることをしっかり自覚しなくてはいけません。この「忖度される」側に入ることは、出世栄達の醍醐味のひとつなので(そんなつもりで出世したわけではない、という人格的に偉い方もまれにいらっしゃいますが)、その地位に応じたある程度(組織を崩壊させる、とか、私腹を肥やしすぎる、とか、社会のルールに反するとかを除く)の忖度を周囲から受けても全く問題ないと思います。

 ただし、公務員や行政に携わる方は別です。これらの業種は、他業種に比べて公平公正が周囲から求められています。より自分を客観視し、誤解を招くような事案に対しては見合わせることがのぞましいのではないか、と考えます。

 首相夫人という立場は、日本でも有数の「忖度される」立場だと思います。そのような立場にある人が、あの学校の名誉校長を引き受ける、このことが問題なのです。「国会議員夫人」でも見合わせていただきたいと、一国民として思います。「首相夫人」ならなおさらです。

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