読書生活 

本もときどき読みます

立ち上がらければいけない時は、立ち上がらなければいけません

 私はそんなに怒りっぽい方ではありませんが、人間ですからたまにはドカンとしたくなる時もあります。でも、いい年したおじさんや老人が激高する姿は、見ていて気持ちのよいものではありません。

 『「怒り」を消す』という題につられて、備瀬哲弘さんの『精神科医が教える「怒り」を消す技術』という本を読みました。

 「怒りはなるべく表さない方がトク」と備瀬さんは言います。同感です。他者にあまり期待しない方がいい、というようなことも書いています。期待すると期待の裏返しで腹が立ち、キレるという図式が成り立つわけです。どこかのCMにもありましたね。「期待するのやめたの」あれはうまい。

 しかし、あえて怒りをあらわにしなければならない時があります。自分の大切な人が目の前で悲しい事態に陥っている時です。学生なら、大事な親友が変な輩にからかわれていたり、社会人なら、職場で大事な同僚や部下が上司に筋の通っていない叱責を受けていたり、といった場面です。おそらく、私ごときがそこで輩や上司に反論したところで事態は変わりません。おさまるどころか、火に油を注ぐ事態にもなりかねません。しかし、私のその些末な蜂起が、親友なり同僚なり部下なりの傷ついた心を少しはおだやかにするのではないか、と思います。輩や上司が去った後「私はあなたの味方だよ」と耳元でささやくのは卑怯者のすることです。そういうことを言うくらいなら、その場で反抗するべきです。「ああ、私のために怒ってくれている人がここにいる」大事な人にそう思ってもらえたら、他人の信用(もちろん主に、輩や上司のことです)などどうでもよろしい。また、その後のいざこざなどもどうでもよろしい。問われるのは「勝ったか負けたかではなく、やったかどうか」です。「声を上げ、立ち上がる」この行為自体が大切です。少し勇気が必要ですが、やってみましょう。机の下でぎゅっと拳を握り「男を見せろ!」と自分を叱咤して立ち上がりましょう。そして事をなした後は、興奮で震える手を必死で抑えながら自分で自分をほめてあげましょう(笑)。

 付け加えです。いい年になったら、自分のことで腹を立てる、ましてやキレるなど、みっともないのでやめましょう。

 先日、老人がぶち切れていましたね。

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 自分より社会的に下と思われる記者に対して、70歳の老人が全開でキレていました。小さい、あまりにも小さい。「発言は撤回しない」などと言っていたくせに、数日後、謝る安倍さんの隣で神妙にしていましたね。悪いことをした子どもが母親に連れられて先方の家に謝りに行っている図に見えます。70歳ですけどね。本当にみっともない。この本、読んでおいたらよかったのに。

 なんだ、お前はこれが言いたかったんじゃないか、と言われそうです。実はそうです。すみません。