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『人間失格』 太宰治

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とんでもなくネガティブ 

 約20年ぶりに読みました。わたしは今、「文豪の描く季節の表現を拾う」という作業にはまっています。待ち時間があったので本屋で立ち読みしました。今の書店って意外と文豪の本が少ないんですよ。季節の表現を追いつつも、この本なかなか興味深くて一気読みしました。

『人間失格』大まかなあらすじ

恥の多い生涯を送ってきました。

自分には人間の生活というものが、見当つきません。

自分は空腹ということを知りません。

おなかがすいてもそれに気づきません。

人間の営みというものが未だにわかりません。

自分の観念と他の人の観念とが、まるで食い違っているような不安を覚えます。

その不安のために発狂しかけたことがあります。

不安で隣人と会話ができません。

なので、他人と会話するときは道化を演じることにしました。

 ストーリーはこんな感じです。

場の空気を読む道化少年 

 このように、つねに周囲の空気を読み、ひっそりと一日一日を生きていきます。ときどき、「おまえは空気を読んでいるのだろう、と、この人は見抜いているんじゃないか」と勝手に思い込み、また悩みます。

 人間の苦悩を描いた作品なのだ、とはじめて読んだとき思いました。ずいぶん影響を受けた記憶があります。しかし、今読み返すとどうもピンときません。

 当時のわたしは、この「他者と接するのに疲れ、道化を演じることにした」という生き方に共感できた、ということなのでしょう。かっこつけているわけではなく、中高生時代ってみんなそういう気持ちを持っていますよね。

 はじめて読んでから20年。いろいろなことがありました。自己肯定感は当時に比べると少しは増したと思います。ところが太宰はいつまで経ってもネガティブです。この作品だけがネガティブというわけではなく、太宰は死ぬまでネガティブです。そして死ぬ。この徹底的なネガティブ加減に圧倒されます。「自分はとことんダメ人間だ」と太宰は思っていたのでしょう。

 太宰の偉大さは、「とことんダメ人間」であることを自覚し、それを客観視したり、ニヒリズム的に見たり(これ、同じような意味ですね)せず、徹底的に描き続けたことでしょう。

坂口安吾は「開き直り」型ダメ人間で、太宰治は「生きててすみません」型ダメ人間

 坂口安吾も少し似ています。坂口安吾の小説やエッセイからは、「俺はどうしようもない人間だけど、なにか文句ある?」という、「開き直り」的なダメ人間哲学が伝わってきます。太宰治のような世間におもねる態度を全くとりません。偏屈ですが、世間に対して「我関せず」な生き方を貫いています。ちなみに太宰は「生きててすみません」的なダメ人間思考といったところでしょうか。

 坂口安吾も太宰治も社会の底辺を自覚した人ですが、坂口安吾はどうしようもない自分に誇りを持っているんですよね。太宰治の徹底的な自己否定は、今読むと少し悲しくなります。

徹底的なネガティブ思考

  太宰治の徹底的な暗さとネガティブ発想は凄い。たとえばこれ。

パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み、少しずつ上澄みが出来て、やっと疲れて眼が覚める。朝はなんだかしらじらしい。

『女生徒』という本にありました。寝て起きるとき「疲れて眼が覚める」って。「朝はなんだかしらじらしい」って。朝からこれだと1日が大変でしょう。

 最後はこの『人間失格』から拾った、季節の表現です。

海の、波打際、といってもいいくらいに海に近い岸辺に、真黒い樹肌の山桜のかなり大きいのが二十本以上も立ち並び、新学年が始まると、山桜は、褐色の粘っこいような嫩葉(わかば)と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花を開き、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面をちりばめて鏤(ちりば)めて漂い、波に乗せられ再び波打ち際に打ち返される。

これは春です。太宰治は一文が長いんです。 

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