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一段上の作文技術 紋切型の表現はやめよう。本当にがっかりした人は肩を落とさない。

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 元朝日新聞記者の本多勝一さんが書いた『日本語の作文技術』という本を読んでいます。今回のテーマは「紋切型の表現はやめましょう」という話です。

紋切型 

紋切型の表現で充満している悪文

 この文章を読んでください。今から40年以上前の朝日新聞の投書欄の文章です。

 家の前に住んでいるおばさん。このおばさん、ただのおばさんではない。ひとたびキャラバンシューズをはき、リュックを背負い、頭に登山帽をのせると、そんじょそこらの若者は足元にも及ばない。このいでたちで日光周辺の山はことごとく踏破、尾瀬、白根、奥日光まで征服したというから驚く。

 マイカーが普及し、とみに足の弱くなった今の若者らにとって学ぶところ大である。子どもたちがもう少し手がかからなくなったら弟子入りして、彼女のように年齢とは逆に若々しい日々を過ごしたいと思っている昨今である。

 本多さんは、この文章を「紋切型の表現で充満しているヘドの出そうな文章」と、こきおろしています。紋切型の表現とは、どのような表現のことを言うのでしょう。

紋切型の表現とは

 紋切型の表現とは、決まりきった公約数的な表現のことです。嬉しいと「喜びを爆発させ」、悲しいと「がっくりと肩を落とし」、難題を前にすると「途方にくれる」、このような表現のことを指します。

 紋切型の表現に着目しながら、先の文章をもう一度読んでみましょう。

 家の前に住んでいるおばさん。このおばさん、ただのおばさんではない。ひとたびキャラバンシューズをはき、リュックを背負い、頭に登山帽をのせると、そんじょそこらの若者は足元にも及ばない。このいでたちで日光周辺の山はことごとく踏破、尾瀬、白根、奥日光まで征服したというから驚く。

 マイカーが普及し、とみに足の弱くなった今の若者らにとって学ぶところ大である。子どもたちがもう少し手がかからなくなったら弟子入りして、彼女のように年齢とは逆に若々しい日々を過ごしたいと思っている昨今である。 

 この文章を、本多さんはこう解説しています。

「このおばさん、ただのおばさんではない」の表現がどうにもならない紋切型だ。(略)「ただのおばさんではない」などと無内容なことを書くくらいなら、どのように「ただ」でないのか、具体的内容をすぐにつづけて書くべく、この部分は省略すべきだろう。(略)「どうしてどうして」だの「そんじょそこらの」だのという手垢の付いた低劣な紋切型がまた現れる。「足元にも及ばない」も一種の紋切型だ。さらに「ことごとく」「踏破」「征服」といった大仰な紋切型が続いた末「驚く」と自分が驚いてしまっている。「学ぶところ大」というような、これも紋切り型の修辞。最後に「‥昨今である」という(「‥今日このごろである」式の)大紋切型で終わる。

今では「そんじょそこらの」や「学ぶところ大」といった表現はあまり見られません。しかし、紋切型の表現は多く残っています。

どうして紋切型の表現はいけないのか?  

 例えば、悔しさや怒りを表す表現に「唇を噛んだ」というものがあります。確かに、悔しがって唇を噛む人はいるかもしれません。でも、わたしたちの目の前にいるその人は、本当に唇を噛んでいたでしょうか。黙って、静かに、自分の感情をあらわしようもなく耐えていたかもしれません。もしかしたら、唇を噛まずに、意味のわからない言葉を聞き取れないくらいの小さい声でつぶやいていたかもしれません。なのに「唇を噛む」という表現が頭に浮かんだら、そう書きたくなってしまいます。よく観察するより、「唇を噛んだ」の一言ですませた方が楽だからです。

 もう一つ例をあげます。スミレの黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な気持ちをほんの少しいだいたとしましょう。でも、わたしたちはスミレを「可憐だ」と表現してしまいます。このときの一瞬浮かんだ不吉な印象を正確につかまえることが、文章の勝負どころです。なのに、スミレを見たら「可憐だ」と書いてしまう。それくらい紋切型の表現は染みついているのです。

 紋切型表現を多用することは、よく観察しその状況を自分の言葉で書く、という作業を放棄することになります。すべて借り物の表現になる、と言ってもいいでしょう。そのような文章が新鮮な魅力をもつわけがありません。

 紋切型の表現として「唇を噛んだ」以外にもこれらがあります。

「ぬけるように白い肌」「顔をそむけた」「ガックリ肩を落とした」「ほくほく顔」「エビス顔」「複雑な表情」「嬉しい悲鳴」「冬がかけ足でやってくる」「そっと置く」

このような紋切型の表現をなるべく減らそうということです。

 ここまでのまとめです。「紋切型の表現をなるべく減らす」です。 

状況をよく観察して事実をしっかり書いた文章とは? 

 紋切型の表現を減らした後にやることは、状況をよく観察して事実をしっかり書くです。これが難しい。

文章例① がっかりした人間は、肩を落とさない 

 わたしの好きな作家の一人である吉村昭さんに、トンネル工事の苦労を克明に描いた『闇を裂く道』という作品があります。山が崩れトンネルの中に仲間が閉じこめられるという場面が作中にあります。工事関係者は彼らを助けようと救助坑を掘りますが、固い岩盤に阻まれ一週間が経過してしまいます。もう生存は絶望的だろうというこの状況を、吉村さんはこのように書きました。

富田は、再び現場に姿をあらわしていたが、頬のこけた顔には悲しげな色がうかび、蜜柑箱に腰をおとすように坐ると口をつぐんでいた。技師、親方、労務者たちは、たがいに視線をそらせ合っていた。『闇を裂く道』P131

この場面、紋切型の表現を使うと 

誰もがみな、ガックリ肩を落とした。

となります。こちらの方が書く側としては簡単ですが、読み手としてはどうでしょうか。吉村さんは、登場人物の行動やしぐさをじっくり観察し書きました。この中の誰も肩を落としてはいません。頬がこけ、蜜柑箱に腰をおとすように坐り、口をつぐみ、たがいに視線をそらせ合っています。

文章例② 本当に喜んだ人間は、喜びを爆発させない 

 もう一つ例をあげます。同じく『闇を裂く道』より。先の続きです。八日目に穴が開きます。救助坑を掘ってきた男(林野といいます)がその穴から中をのぞくと、動いているモノが見えました。仲間が生きていたんです。彼等は死を覚悟し横たわっていました。そして、穴が開き救助が来たことを知った…。この状況を吉村さんはこう書きました。引用します。

 林野は、横たわった男たちの体に眼をむけたが、かれの口が半ば開いた。言葉は出なかった。奥の方まで並んで横たわっている男たちの体が、一斉に揺れている。その眼は手拭いでおおわれ、体の動きが急に激しくなった。

 林野は、異様な声を耳にした。それは、食いしばった歯の間からもれるすすり泣きで、仰臥している体の中から起り、たちまちのうちにひろがった。体が大きくはずみ、泣き声が号泣に変わった。『闇を裂く道』P192

もちろん、

男たちは、喜びを爆発させ抱き合った。

と書くこともできます。しかし、吉村さんはそう書きませんでした。紋切型の表現はわかりやすいかもしれませんが、読者を引っぱる魅力的な文章とは言えないでしょう。状況をよく観察して事実を書くとはこういうことです。

 まとめます。今回は、紋切型の表現のかわりに、状況をよく観察して事実をしっかり書くことです。

 吉村昭さんはずばぬけた作家さんです。学ぶところ大です(紋切型)。 

 

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