読書生活 

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死にたくなったら読む本

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 げんなりする題ですみません。

 自己不信と自己過信の間でぐるぐる揺れているわたしです。少しの自信は生きていく上であった方がいい。ただ、過ぎるとそれは一気に反転します。

 これはまずいと思ったときは、ソラナックスを飲みます。抗不安薬です。つねにズボンのポケットにはソラナックスが入っており、それをポンポン口に投げ込む。はたから見ている人は、それを抗不安薬ではなくフリスクだと思っているはずです。

 わたしの職場は地上4Fにあります。そこからふわっと飛び降りることもよく考えます。4Fから飛び降りて死ぬためには、地上のコンクリにうまく頭を打ち付ける技術が必要ですが。鬱をなめたらいけない。あなたのまわりに挙動のおかしい人はいませんか?本当に死ぬかもしれません。やばい人は病院へ行くことをすすめます。

 で、本題へ。死にたくなったとき、わたしは東野圭吾の『容疑者Xの献身』を読みます。「なんだ、べただな」と思う方がいるかもしれません。

 世に受け入れられているモノをあえて批判することで、他者との差別化をはかる方もいますが、よいものはよいと言ってよいのです。そして、わたしの中の「死にたくなったときに読む本」はこの大ベストセラーの『容疑者Xの献身』になります。

 死ぬことを思うでしょう。自分が死んでも別に世の中変わりません。生死の境にはそれほど大きな壁はなく、案外すかっとまたげるようなものですから。どこかで読みました。人生の転機とも言える「自身のキャリアの境目」を感じる年齢が42.5歳なんですって。そのくらいの男性に自殺者が多いとのこと。その気持ち、よくわかる。

 自分の行く末がほぼ見え、ヒラでこのまま年月を重ね、出世する同期を斜めに見ながら、若手を無理やり飲みに誘い「本当の仕事とは何か」をえんえんと語る、そんな退職間際の男を見たことあるでしょう。ほんと、どうしようもない、と思いながら聞いてましたが、まさか自分がそんなおっさんになりかけているとはね。

 愛する息子はいるもののその心も知れず、家人との間にはスキマ風どころか。

 毎日死ぬことばかりを考えていた。自分が死んでも誰も悲しまず、困らず、それどころか、死んだことにさえ誰も気づかないのではないかと思われた。思い残すことなど何ひとつなかった。死ぬことに理由などない。ただ生きていく理由もないだけのことだ。 

 何という綺麗な目をした母娘だろうと思った。それまで彼は、何かの美しさに見とれたり、感動したりしたことがなかった。芸術の意味もわからなかった。だがこの瞬間、すべてを理解した。数学の問題が解かれる美しさと本質的には同じだと気づいた。 

 花岡母娘と出会ってから、石神の生活は一変した。自殺願望は消え去り、生きる喜びを得た。二人がどこで何をしているのかを想像するだけで楽しかった。世界という座標軸に、靖子と美里という二つの点が存在する。彼にはそれが奇跡のように思えた。

 彼女たちとどうにかなろうという欲望は全くなかった。自分が手を出してはいけないものだと思ってきた。それと同時に彼は気づいた。数学も同じなのだ。崇高なるものには、関われるだけでも幸せなのだ。

「死ぬのをためらう」というより、「何かを成し遂げてから死にたい」という気になり、その「何か」を探すために生きる気になる本ですね。