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女芸人ナンバーワンって何?

 女芸人のゆりあんがテレビに出ていた。女芸人ナンバーワン決定戦で優勝したらしい。女芸人ナンバーワン決定戦?違和感が凄いのでここで書く。

 上野千鶴子が聞いたら怒り狂うような(もしくは鼻で笑うような)大会だ。わたしは彼女のような強烈なフェミニストではないが、今の日本は未だに男社会だと思っている。世界的に見ても女性の社会進出が極めて低い日本を「なんだかなあ」と憂うくらいはする。

 しかし、わたしの職場は女性進出がはげしい。同僚にも女性が多い。わたしの上司も女性だ。また、家人もバリバリに働いており収入もわたしとほぼ同じ。家事も完全に平等に分担している。なので、わたしの周囲は男女平等社会が確実に根付いている。

 わたしの周囲の女性はわたしにとても冷たいし、わたしは彼女たちにいつもいびられている。しかし、それを差し引いても女性の社会進出には大賛成である。それどころか、今の日本社会の喫緊の課題だと思っている。わたしの周囲の女性は性格はあまりよくないがとても優秀だ。一般的に見ても根拠はないが女性が男性より劣っているということはないと思う。今の日本は、この女性の力を他国に比べて使えていないということでもある。片方の翼だけで空を飛んでいるようなものだ。スーパーサイヤ人に変身しないまま、フリーザやセルやブウと戦っているようなものだ。彼女たちの力を充分に発揮したら凄いことになると思う。この国は資源をたっぷり残した「眠れる大国」なのだ。さあ、日本よ。今こそスーパーサイヤ人になるのだ。

 というくらいわたしは女性の力を開放しろと常々思っている。しかし、この「女芸人ナンバーワン決定戦」は女性の社会進出とは真逆だ。おかしくないか?首を傾げすぎて痛くなったくらいだ。

 だってそうだろう。男女で分けて競い合うということは、どちらが上とか下とかは置いといて、あきらかに差があって同じ土俵に乗せられないということである。バスケでもバレーでも柔道でも、男女別で行われているということはそういうことだ。そして、そのことに批判が出ないということは、世間もそれに合意というか納得しているということに他ならない。吉田沙保里に、「男子と戦ってないからお前は最強ではない」という人はいないだろう。

 この理屈がそっくりそのまま先の「女芸人ナンバーワン大会」にあてはまる。男芸人の方が女芸人よりおもしろいのか?その差は絶対なのか?ジョイナーがボルトに勝てないように(一緒に走ってはないが)女芸人は男芸人には勝てないのか?

 例えば、「女教師ナンバーワン決定戦」「女作家ナンバーワン決定戦」「女記者ナンバーワン決定戦」「女画家ナンバーワン決定戦」「女医ナンバーワン決定戦」まだまだいくらでも書けるがこれくらいにする。これらの大会が行われないのは、このような分野で男女の差などないからだ。男の医者が上で女医が下ということもなくその逆もない。だから「女医ナンバーワン決定戦」など行われないし、逆に行われるのならその男女差を出場者や世間が認めていることになる。

 繰り返すが、わたしは芸人に男女差などないと思っているし、男女のいわゆる「らしさ」はあっても、それによって選ぶようなことはない。現にイモトやブルゾンは女だから、などとひいき目に見ている視聴者がいるだろうか。関係ないでしょう。

 

 大会を動画で見た。出演していた女芸人の中には、どれだけ女を捨てられるかということをウリにしているような芸人もいた。わけがわからない。女優決定戦をもし開催したとして、その大会で女優が宝塚の男役をやるようなものだ。

 ゆりあん、あんな大会に出なかったらよかったのに。そこらの男芸人より十分おもしろい。ゆりあん自身、女芸人が男芸人に負けるとは思ってないだろう。