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『極北に駆ける』 植村直己から学ぶ犬のしつけ方

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植村直己 偉大な冒険家 

 あまりの寒さに車のハンドルを握る手も動きづらい。朝の温度は3度。異常気象とはまさにこのことです。多くの富豪の避寒地として愛されてきた小田原も寒い(涙)。

 「極寒」と言われる世界を読めば少しは気がまぎれるかと思い、その手の本を求めてアマゾンをのぞきました。「犬ぞり訓練の日々」というレビューを読み、植村直巳『極北に駆ける』を買いました。犬そりだから「駆ける」なんですね。

 この『極北に駆ける』は、南極を犬ぞりで横断することを目標に、1972年~1973年の約1年間、植村直己さんが地球最北端にあるエスキモーの村「シオラパルク」で行った極地トレーニングをつづったものです。

 植村直己さんは、この極地トレーニングを行う前に日本列島を歩いています。なぜかといいますと、

5大陸最高峰を登頂し終わって以降、私は南極横断の夢にとりつかれたのである。日本列島縦断3000キロを行ったのも、南極横断距離の3000キロを、実際にこの足で確かめてみたいと思ったからである。

だそうです。日本列島縦断3000キロ?南極は3000キロあるからその距離感をつかむために同じ距離の日本列島を歩いたとのこと。そんなこと普通しますか?

犬ぞり技術の習得 

 日本列島縦断は、植村さんにとっては散歩のようなものだったようです。問題は、厳しい極地気候の順化と犬そり技術の習得です。

 犬そりの訓練なら北海道でもできるじゃないか、と普通は考えるでしょう。

 植村さんが言うには、

北海道では、犬そりは生活に必要な交通機関としては使われていない。カラフト犬がいかに犬そり犬としての能力を持っていたとしても、家の中で主人に頭をなでられ、ペットとして飼われている犬では、いざというときには役にたたない。子犬のときから空腹に目を血走らせ、ムチ打たれながらそりをひいたことのない犬では、真の犬そり技術の習得は望めない。それには極地に住むエスキモー部落に入り、彼らといっしょに生活しながら学ぶのが、一番良い方法に思えた。

 真の犬そり技術の習得…。最近、わたしは猫を飼い始めました。犬との絆を結ぶ技術は、わたしと愛猫(福と言います)との関係を築くための役に立つのでは?

犬との絆は信頼関係? 

 犬そり犬は、まさに自分の命を託す仲間です。一蓮托生の犬と人間の間には太い絆があることでしょう。自分の食事を与えたり、病気のときは優しく看病したりといった家族同然のやりとりの中で、その絆は少しずつ太く強くなっていくのでは?

 

 全く違いました。引用します。

それにしてもエスキモー犬はよく頑張る。もっともここでちょっとでも力を抜けば、あっという間に氷河をすべり落ち、あの世ゆきなのだから頑張ってもらわなければ困るのだが。しかし犬たちが頑張るのは…

犬ぞり犬のモチベーションは、「家族同然の飼い主を助けたい、飼い主と一緒に生きて帰りたい」という気持ちが核となっているのでは?と思ったのですが、違うらしいのですよ。続けます。

犬たちが頑張るのは、すべり落ちるのが恐ろしいからなのではなく、うしろでムチを持って追いたてる人間が恐ろしいからなのである。犬たちは役に立たなくなればすぐに殺されることをよく知っている。犬にとって人間ほど恐ろしいものはいないのだ。

愛情?助けたい?甘いのだ!続けます。

エスキモー犬は日本の犬のように、人間にむかってほえたり、うなったり、甘えたりすることは絶対にしない。子どもがつないである犬にちょっかいを出し、足を少し噛まれたことがあったが、その犬は主人の手ですぐ首吊りにされ、食べられてしまった。

首吊りにされ、食べられた…。圧倒的恐怖!

 違うページにはこんなことも書いてあります。植村さんの犬が病気になって苦しんでいたところ、その犬を引き取りたい、というエスキモーがいたのでゆずってやりました。引用します。

私はてっきり家のなかにでもいれて介抱し、犬そり用に使うつもりなのだろうと思っていたが、それはとんでもない間違いだった。しばらくしてダーンという鉄砲の音がしたかと思うと、あっという間に皮をはがれ、喰われてしまったのだ。そして、夕方には皮となって家の前にぶら下げられた。

 実際、植村直巳さん自身もサボる犬には苦心したようで、リアルに書いています。

ムチが当たらないとさっぱりそりを引こうとしない。チラチラ横目でこちらをうかがいながらサボっている犬を見ていると、腹が立ってくる。「コラ、食料がなくなったら、真っ先にお前たちを殺して食べてやるからな、覚えてろ、このろくでなし、バカ、走れ」

福ちゃん(わが家の猫)、安心して。この本は参考にしないから。

マッキンリー冬季単独登頂

 植村直己さんは、1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしましたが、翌日以降連絡が取れなくなり、消息不明となりました。現在に至るまで遺体は未発見です。最後の交信で消息が確認された1984年の2月13日が命日となっています。明後日じゃないか。冥福を祈ります。享年43歳です。

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