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通行税(関銭)っていくら?戦国、江戸の関所事情

 歴史小説を読んでいると、昔の人がいかに行動的だったかわかります。庶民の移動手段は徒歩、どんなに遠くても歩くしかありません。わたしは体力に自信がないので、この時代に生まれていたらますますインドアになるだろうと思います。

 徒歩なら交通費が無料だと思いがちですが、違います。江戸期以前、関所では通行税を払わなければいけませんでした。今でいう有料道路の通行ゲートです。

関所の数はどれくらいあったの? 

戦国時代は領主の起きたいところに好きなだけ 

 いたるところに関所はありました。特に江戸期以前の室町、戦国時代では、関所で徴収する通行税が領主の重要な収入の一つとなっていたので、領主によってはありえないほどたくさんの関所を設置し、通行税を取る者もいました。

関所では通行税を取り、領主の現金収入にしている。室町政治の悪弊で、たとえば伊勢の桑名から日永までの3里足らずの間に、関所が60か所もあった。少々な小金を持っていても、3里歩けば、だんだん銭が減ってきて、60番目の関所を通り過ぎた頃には、すっからかんの乞食になってしまう。『国盗り物語 第二巻』司馬遼太郎

 3里は約12キロ。この間に60か所の関所を置いたということは、200メートルごとに関所が設置され、旅人はその都度通行税を払ったことになります。そりゃあ、すっからかんになりますよ。

関所を撤廃した織田信長

 この関所と通行税が、戦国時代の人や物の流れを妨げていました。自由に土地を行き来できるようにし、商人の往来や物資運送を盛んにすることで結果的に都市を潤沢にする、そのために関所を撤廃した人物が織田信長です。信長が行った関所撤廃政策は、戦国時代において画期的な政策であったと言えるでしょう。

江戸時代の関所は全国で約50か所ほど 

 江戸期に入ると、治安維持のために関所が幕府管轄で設置されました。関所では、武器や女性、犯罪者の取り締まりが主に行われ、通行税はあまりとられなかったようです。旅人は、通行税を払うのではなく、各藩に申請して手に入れる通行手形を提示する必要がありました。この通行手形が手に入らなかったために吉田松陰は脱藩しました。関所の数は、幕末には46か所あったとも言われています(ウィキペディアより)。

通行税はいくら? 

 「3里歩けばすっからかん」と司馬遼太郎の『国盗り物語』にはありましたが、いったいいくら払っていたのでしょうか。

 こんな記述をウィキペディアで見つけました。

15世紀末の伊勢神宮の近辺では、松阪市から内宮までの50キロメートルに満たない距離の間に、100文以上の支出を要した。

 一文(いちもん)がいくらとは一概には言えませんが、戦国時代で約30円くらいというのが通説のようです。とすると、100文は3000円。

 徒歩(当たり前ですが)で50キロ行くのに3000円以上かかります。よく考えると徒歩なのに3000円はやはり高いです。今の時代、3000円あったら電車を使って東京からどこまで行けるか調べてみました。

東京から3000円でどこまで行けるか 

 東京から京都を目指しましょう。

 新幹線なら3000円で小田原まで行けます。約90キロ:3220円です。在来線なら、東京からはるばる169キロ離れた、ちびまる子ちゃんの舞台である静岡県の清水市まで行けます。約169キロ:3020円です。歩くだけで3000円はやっぱり高いですね。 

www.yama-mikasa.com 

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