読書生活 

本もときどき読みます

運の引き寄せ方 『野村の悟り』野村克也

人格を備えている人間には、神様が味方してくれる 

成績だけでなく

取り組む姿勢が真摯で、

みんなに尊敬される

人格を備えているから

神様が味方してくれる

 わたしには、「このピッチャーは本当に運がいい」と感じさせられたピッチャーがふたりいた。ひとりは南海ホークス時代の杉浦忠。もうひとりが、マー君こと田中将大だ。

 ふたりには共通点があった。このふたりが投げた試合は、打たれたとしてもなぜか勝てたし、打線がよく点を取ってくれた。それは、「チームの気運」をふたりが呼び込んでいたからだと思う。

「今日の試合は杉浦が投げるから絶対に負けない」

「今日はマー君が投げるから勝てる」

 ふたりとも、そういうムードをチームに与える選手だったからこそ、彼らが投げる試合は負けなかったのだろう。杉浦もマー君も野球選手としてではなく、人間としても周囲に評価されようと努力していた。それが並みの選手と一流選手の差である。

 長嶋茂雄と王貞治が、なぜ多くの日本人に愛されているのか。それは野球の成績だけでなく、誰よりも野球に取り組む姿勢が真摯で、みんなに尊敬される人格を備えているからである。そういう人には、神様が味方してくれるのだ。

 「運がよかった」とよく言います。この言葉に含まれる「運」とは、人智を離れたところにあるもの、というイメージがありますが、野村監督は違うと言います。運は引き寄せるものだ、と。

 ここぞという土壇場で、味方がファインセーブをしてくれる場合があります。守備側からしてみると、プロですからどんな状況でも全力を尽くします。しかし、そのピッチャーに勝たせたい、と思う場合とそうでない場合では、無意識の動きが違ってきて当然です。つねに練習に真摯に取り組み仲間に敬意を払うピッチャーと、仲間を常に下に見て練習ではさぼってばかりのピッチャーでは、違ってくる、そう野村監督は言います。

 バレーでもそうです。「思い切り打て、お前のスパイクはブロックされても絶対に俺が拾ってやる!」そう思わせるような人間のところに運が引き寄せられるのだと。

 あまり自己啓発本は読まないのですが、野村監督の本だけは別です。

  以下、気に入ったページを引用します。

失敗を自覚しない者は、絶対に一流にはなり得ない

 失敗を自覚しない選手は、二流であり三流だ。さらに失敗を重ねる選手は、もはやプロ失格かもしれない。

 では、失敗を重ねないようにするにはどうすればいいか。

 それには、「なぜあんな配球をしたのだろうか」「どうしてあのボールが打てなかったんだろう」などと感じる力を身に付けることが必要である。

 わたしは感じる力とは、その人間のもつ強い熱意や希望であり、夢であると思っている。感じる力は、そういう強烈な思いによって湧いてくる。

 失敗したときほど伸びるとき-そんな意識をもてるかどうか。それが、経験を糧にできる人とできない人の分かれ道になるのだろう。

 

「すみません」の

ひと言には、

言い訳を断ち切る効用がある

 長々と言い訳を続ける人がいる。このタイプは、ある段階で成長がストップすることがほとんどだ。

 なぜなら、ミスや失敗の原因を分析することもなく、自己弁護に一生懸命なだけだからだ。なかには、責任転嫁に必死な人もいるかもしれない。これには失敗から学ぼうと言う姿勢がまったくない。

 野球選手に限らず、素直に「すみません」といえる人であってほしい。「すみません」のひと言には、言い訳をしようとする自分の気持ちを断ち切る効用があると思うのだ。

  

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