読書生活 

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謙遜や自虐もほどほどに 三島由紀夫『不道徳教育講座』

 「俺、ハゲてるだろ?」ってはげてる人に言われたとします。どう答えますか?

①「そうですね」

②「少し薄いけど、あまり気にすることないよ」

③「年取ったらみんなそうなるって」

④「そんなことないよ」

⑤「どこが?ふさふさじゃん。毛量多すぎて佐藤浩一かと思ったよ」

 アンケートとってみたいところですが、この5択だったら④を選択する人が多いのではないでしょうか。わたしだって④にします。

 この手の自虐トーク、日常でよく飛び交ってます。自分の容姿や学歴をいじるパターン以外にも、意見する際の「わたしみたいな若輩者が」や「初心者ですが」などの入りも同じことだと思います。

 わたし、これを言われるのがすごく苦手です。だって、そういう人たち、自分でいじる分にはいいのですが人から言われると怒るんだもん。ふだん他者からの発言は適当に頷いて流すタチなので、そんな発言に対しても頷いて何度も痛い目をみました。それに、デリカシーをもった普通の大人(わたしは自分のことをそう思っています)なら、はげてるとか太ってるとか、あなたが気にしているだろう容姿のことなんてわかってても話題にしませんから。

 でも、相手が自分のことを「ハゲてるだろ」と言ってきたら、無視するわけにもいきません。その部分に対して、何かコメントしなければならない。それがめんどくさい。

 この自虐ネタ「自分でわかってるから、この話に触れるなよ」という宣言をその場にいる人たちにする意味合いが強いのかなって思います。そんなこと必要ありません。初心者あいさつもいらない。いいんだよ。そんなこと気にしなくて。嫌なこと言ってくるやつとは縁を切った方がいい。

 

三島由紀夫の不道徳教育講座

 こういう行き過ぎた謙遜や自虐を言う人は昔からいたようです。三島由紀夫が『不道徳教育講座』で挙げています。三島は力が入りまくっていた人ですから、度の過ぎた謙遜や自虐なんてありえなかったんでしょうね。三島はそういう人のことを「バカ」って言ってます。

 引用します。

謙遜バカ 

 何でも謙遜さえしていれば最後の勝利を得られるという風に世間を甘く見て、ことごとに「私のようなものが」とか「不肖私が」とか言い、謙遜の裏に鼻持ちならない自惚れをチラチラ見せ、それでいて嫉妬心が強く、恨みつらみをみんな内攻させ、嫉妬深いから人の長所がよく目につき、被害妄想からそれをみんな褒めてしまい、あとで後悔して自分を責め、ますます謙遜して復讐の刃をとぎ、道路は必ず端のほうを通り、可笑しくもないのにニコニコ微笑みをたたえ、自分の細君にはひどく威張る。

 「自分の細君にはひどく威張る」はあてはまりませんが、その他は言い得て妙だな、という感じです。謙遜は自惚れと嫉妬の裏返しなのかもしれません。

 この謙遜とよく似ている例として、「三枚目」をあげています。自虐と同義です。引用します。 

三枚目バカ 

 大して可笑しな顔つきでもないのに、むやみに自分を三枚目にしたがり、女を口説く勇気がないので、わざわざ女の前でピエロを演じ、一種の媚態から、絶えず自分を人の笑い物にしていなければ気がすまず、親からもらった自分の顔の悪口を自分で言い続け、しないでもよいヘマをやり、自転車からわざわざ落っこちて見せ、要らざる失敗の告白ばかりやり、しかも自分以外の人間をみんな大バカだと心底深く信じて疑わない。 

 女性を口説くために三枚目を演じているのかはさておき、三枚目を演じている人もプライドは高い人が多い気がします。「笑わせている」つもりなんですが、いつの間にか本人も気づかないうちに「笑われている」人間になっている、なんてことがけっこうあります。

 自分のことを大きく見せるのはかっこわるいですが、小さく見せようとするのもかっこわるい。ありのままを見せるのが一番なのですが、それが最も難しい。うーん。何かいい方法ありますか? 

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