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司馬遼太郎と織田信長 司馬作品に出てくる織田信長の書かれ方から見える司馬史観

  司馬遼太郎の作品には、『国盗り物語』や『太閤記』など織田信長が出てくるモノが多いです。それらの作品を読めば、うっすらと司馬遼太郎の織田信長観が読み取れます。『司馬遼太郎の考えたこと』や『この国のかたち』などのエッセイには、『国盗り~』などの小説より、直接的に織田信長観が出ています。こんな感じです。

前衛芸術家 織田信長 

 信長なら律儀に受験勉強などせず、私大へ入ったであろう。それも中途でよして、芸術家になったに相違いない。信長はその趣味性だけでなく、政治、戦術感覚においても、芸術家的体質が濃厚であった。常識を事もなく破り、模倣をきらって創造に生き、どんらんに想像をかさねてついにその事業を、体系化しえず破滅した。『司馬遼太郎が考えたこと 1』

 司馬遼太郎作品の中から、あまり知られてはいない織田信長について拾ってみました。随時更新していきます。

子どもの名づけ方が変わりすぎ 

 信長は自分の子どもの名をこの男らしい傾斜をおびたものをつけた。長男信忠は「奇妙」といい、三男信孝は「三七」といい、九男の信貞にいたっては、「人」という名だった。『国盗り物語 第三巻』

水泳が好き

 もともと体を動かして飛びまわることは大すきで、弓や馬術、水練にはとくに精を出してきた。水練はかくべつに好きで、まだ水に入るには寒い三月にはもう信長は連日水中にいたし、毎年九月までは泳ぎまわって暮らしてきた。『国盗り物語 第三巻』

秀吉を家来にしたきっかけ

顔が醜かったから。

 猿はついに決意し、(この貌を使おう)と思った。この珍奇な顔を押し出して信長の見参に入れればどうであろう。「罪を問われれば死ぬまでよ」と覚悟し、清州に出て信長の出入りをうかがっていると、しばしば鷹狩りに出かける様子である。 

 信長が通りかかるときにひらりと声をあげた。信長は見おろし、弾けるように笑い出した。世の中でこれほど珍奇な顔をみたことがない。

 きっ、とその顔が笑ってみせた。その瞬間、馬が愕くぐらいの奇相になったが、それだけに物好きな信長は見惚れてしまった。信長の顔はだんだん好奇心ではち切れそうになり、「われは、何ぞ」と叫んでしまっていた。

秀吉を草履取りに採用したきっかけ 

ドッキリで秀吉におしっこをかけたときのリアクションがよかったから。

 小便のくる方向を見定めると、目の前の腰板に男根が一つ出ている。「おのれ、なにやつじゃ」と猿はとびあがり、門の梯子をつかむや、腰を波うたせて掻きあがった。そこにはなんと織田上総介信長がいた。

 「ゆるせ」と、またぐらへ仕舞いつつ、眉にたてじわを寄せ、いつもの苦い顔で立っている。猿は平伏もせず、片膝を立てたまま、胸をかきむしるようにして、「殿様なりともゆるせませぬぞ」と、顔を真っ赤にしてどなった。

 「男のつらに尿をふりかけるなどは法外なことじゃ。お手討ちにあうとも、これはかんべんなりませぬぞ」この剣幕には信長も手が付けられず、ただむやみと顔をにがっぽくつくり、「汝ガ心ヲ見ントテ、シタル事也」と、「祖父物語」を筆うつしにすればそんなことを言った。

 「心を見るために、小便をおかけあぞばしたのでござりまするか」「おれはいつもその手だ」「しかし、掛けられた者の身にもなってくださりませ」「わかった」信長は和睦のしるしとして、「あすからおれの草履をとれ」といった。『国盗り物語 第三巻』  

いい男

 「水もしたたるような美しい若殿でございます」よくよく信長の顔を見ると、この十五歳の若者は彼女がかつて見たことがないほどに高貴な目鼻だちを持っている。『国盗り物語 第三巻』 

乗馬好き

 山には道がない。木の枝、草の根をつかんで全軍が上り下りした。が、信長は馬から降りない。子どもの頃から異常なほどの乗馬好きだったこの男は、蹄の置ける場所さえあれば楽々と馬を御することができた。『国盗り物語 第三巻』

片えくぼ

 義昭は信長に常駐してくれるように頼んだが、信長はその特徴のある片えくぼをくぼませたのみで、返事さえしなかった。『新史 太閤記 上』

黒人の部下がいた

 南蛮僧が献上した黒人を珍重がり、-まさか墨を塗っておりはせぬな。とわざわざ湯に入れて試し、まぎれもなく天然の皮膚だと知るといよいよ可愛がり、ついには弥助と名付けて太刀持ちにしたほど、この種の癖のある男である。『新史 太閤記 上』 

恐怖の一銭切

 この男の治安と秩序に対する強烈な態度が行動にもあらわれていた。かれは、京都市中に充満している織田家の軍勢に対し、「一銭切」という刑罰を布告していた。市中で市民からたとえ一銭を盗んでも斬る、という類のない刑罰である。この場合、この刑罰令どおりを、信長みずから実行した。『国盗り物語 第四巻』

妹のお市は超美人

 この近江の国を、この時期の信長は死に焦がれるほどに欲した。だからこそ、黒色無双と言われた妹のお市を、近江北部の大名浅井長政に嫁せしめ、姻戚の縁を結んだ。『新史 太閤記 上』 

 お市は齢はすでに三十六ながら日本第一の美人と言われていたほどの婦人であり、信長が残した遺産の中で最も華麗なものであるだろう。(柴田勝家と再婚する時の描写です)『新史 太閤記 下』 

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