天才とは 沖田総司
「飲むほどに酔うほどに、かつて奪った命の記憶が蘇る」
最強と謳われ恐れられた、新選組三番隊長斎藤一。明治を隔て大正の世まで生き延びた「一刀斎」が近衛師団の若き中尉に夜ごと語る、過ぎにし幕末の動乱、新選組の辿った運命、そして、剣の奥義。慟哭の結末に向け香り立つ生死の哲学が深い感動を呼ぶ、新選組三部作完結編
だそうですが、私はこの完結編しか読んでいません。読む順番を間違えました。新選組副長助勤三番隊隊長斎藤一が、若い中尉に熱く語る、という話です。まるで浅田次郎が斎藤一に会ってきたかのような語りとなっています。新選組にあまり興味がない方でも、「土方歳三」や「沖田総司」の名は聞いたことがあるはずです。土方歳三は、坂本龍馬と並び、歴史好きが選ぶ人気人物第一位だそうです。
沖田総司は天才剣士として有名です。この天才「沖田総司」を斎藤一を使って、浅田次郎はこのように表現しています。
わしの抜きがけの一太刀を躱すことのできる者、と言いかえてもよい。むろん白刀を交えたためしはないが、やつは後世の語りぐさにたがわず、少なくともわしの出会うた中では天下第一等の遣い手であった。
剣に限らず、いわゆる稽古事はみな同じであろうが、経験を積めば上達するというものではない。むろん稽古をせねば話にならぬゆえ、師と仰がれる者は口にはださんがの。いかんともしがたい天賦の才というものが、たしかにあるのだ。同じ稽古を積むにしても、十年の労苦を一年かそこいらでひょいと凌いでしまうような、神仏から授かっているとしか思えぬ才を持っておるものはたしかにいる。沖田総司というは、それであったの。
沖田は誰もいなくなった道場に、まるでころあいを見計らったような具合に現れるのだ。そして、天然理心流の形を一通り浚う。
奇妙なことに、沖田の独り稽古は、独りに見えぬのだ。見えざる神が、古代の矛や剣やらをふるって沖田に稽古をつけているといえば、そうとも思えた。
わしの体には無数の刀傷がある。今も存命の永倉の体も、それは同様であろう。近藤も土方も、ともに湯に浸ろうものならたちまち傷自慢が始まったものだ。
だが、沖田の体には掻き傷のひとつすらなかった。まるで琺瑯の器のごとき、輝くばかりの肌をしておった。つまり、誰よりも修羅場を踏んでおりながら、やつの体に届いた剣はなかったのだ。
もう一つ。
沖田総司の剣を天才の一語で評するはたやすい。では、天才とは何かと問うてみよう。
たとえば、われらの歩む剣の道が百里の行程であったとする。時は違えど、わしも永倉もおぬしもその百里を歩む旅人じゃ。
多少の才に恵まれ、修練を積めば、九十九里までは達することができるが、その先には進めぬ。九十九里の峠の先には千尋の谷が待ち構えており、人間の背に羽でも生えぬ限りその谷を越えて百里に達することはできぬのだ。いきおい九十九里の峠の頂にとどまる者は数多く、彼ら相互の技倆は紙一重である。むろん師の近藤勇ですら、そのうちの一人にすぎなかった。
しかし沖田総司は、その千尋の谷を隔てた向こう峰におるのだ。やつがいつの間に、どのようにして谷を越えたかは誰も知らぬ。ただ気が付けば向こう峰の頂に腰をおろして、ぼんやりと宙を見つめていた。
万人に一人、などという言い方はあたるまい。わしはこの齢になるまで、向こう峰に座る剣士を二人とは知らず、おそらくおぬしはこの先、一人も見ぬであろう。
谷を越えられぬ凡俗にとっては、九十九里といえども百里の道のなかばであることにちがいはない。しかし九十九里を歩んだ者の果報として、わしらは百里をきわめた人間をこの目で見ることができた。
沖田総司のかけがえのなさというは、すなわちそのようなものであった。
九十九里までは精進すればいける。しかし、百里に達するには羽が必要だ、とのこと。なるほど。