迫る全体主義 多様な文化が共生できる社会を
「多様な文化が共生できる社会をともに目ざそう」と呼びかける名著。
障害をありのままに受け入れ、障害を一つの生きるかたちと考え、一つの文化として捉えることはできないか、筆者の浜田さんは、私たちにそう投げかけています。
「欧米の異文化に接することは、今の若い人たちには日常的にいくらでもあります。しかし、障害をもった人たちとの異文化接触は、相変わらず私たちの周りにはほとんどありません。「発達障害バブル」と言ってよいような状況が広がっている中で、「特別支援」という名の排除があらたに根をはりはじめているのではないかとさえ思えます。例えば、広汎性発達障害(自閉症)が注目されて、対象児のソーシャルスキルの訓練がさかんに行われていたりするのですが、逆に、障害をもたない人たちの、障害をもつ人たちへのソーシャルスキルはどうなっているのだろうかと考えてしまいます。いまのように軽度の発達障害の子どもたちさえ特別支援教育のなかに囲い込み、直接に接する機会が減少してしまえば、そうした人たちに対する周囲の人たちのソーシャルスキルがさらに落ちていくことを覚悟しなければなりません。」
障害者施設が日本の至るところに建設されています。地域のどこかにひっそりとあります。多分みなさんの地域にもありますよ。そのような施設建設の背景について、障害者施設で働く方の声を、先日雑誌で見かけました。
その方が言うには、
障害者を視界から遠ざけるためだろう。その方が楽だから。考えずに済むから。
そして、
触れ合った記憶も、考えるきっかけもないまま人々が育ち、無関心が広がっていかないか、そこから全体主義が芽を出さないか…
とのこと。
全体主義は、個人の利益や生よりも、全体を優先させます。それは、少数派の痛みへの無関心、多数派のエゴイズムの結晶なのかもしれません。究極がナチスの行為です。障害者やユダヤ人、同性愛者など様々な少数派を、「生きるに値しない」などと言って虐殺しました。
最強の米国の白人大統領が、「米国が第一」といい、立場の弱い移民を排斥しようとしています。テロの危険とか、暮らしとか、社会に不安が高まるときは注意が必要です。「他人のことにかまっていられない」と、エゴ向きだしになりやすいです。他人ごとではなくする知恵、それが鍵に思えます。