猿に限らず、動物は言葉を話せるか、という問題はとても興味深いです。わたしも猫を飼っているのですが、言葉を話せたらいいな、といつも思っています。しかし、この本を読む限りでは、猫はおろか猿も人間のように言葉を話すことはできそうにありません。
動物が人間の言葉を理解できない、という意味ではなく、動物自体も人間のような高レベルな言葉のやりとりは行えていない、という意味です。
しつけられた犬は、飼い主が呼べば飼い主のもとに戻ってきます。昔、わたしが実家で飼っていた猫は、餌をあげるわたしの母以外の人間が呼んでも全く無視でした。ボールを投げたら、口にくわえて取ってきてくれる犬もいます。このような犬や猫は、人間の言葉が理解できているように見えます。
しかし、本書の酒井さんは、犬や猫が言葉を理解しているとは限らないと言います。
ジェスチャーと意味との連想関係を覚えたからといって、言語を使っているというのは間違いで、動物は人間の言葉に反応しているのであって、理解しているとは限らない。
とのことです。
動物は人間の言葉を聞いて理解しているのではなく、合図として覚えているだけだと言います。研究者の中には、類人猿に言葉を話させようとする研究者がいます。猿と人間で双方向の会話ができたら、動物が言語を理解していることになるからです。そのような実験や観察に多くの研究者が取り組みましたが、今のところ類人猿が文を作って会話をした例は一つもない、とのことです。どうやら、動物は人間の言葉を理解できないようです。
では、動物同士では会話をしているのでしょうか。犬は犬語を、猫は猫語を、猿は猿語を話している、と、みなさん思っていませんか?これも、どうやら答えはノーのようです。簡単な会話はできるようですが、複雑なやりとりはしていないとのこと。
いやいや、子どもを守るゾウの映像を「世界まる見え」で見たぞ!簡単な会話と難しい会話ってどういうこと?と私は思いました。私だけでなく、多くの方がそう思っているようです。
この問いには、言語学者のチョムスキーが明確に答えてくれます。
チンパンジーはもともと言語を使う能力があるが、人間ほどうまく話せないだけであるという説は、人間はもともと空を飛ぶ能力があるが、鳥ほどうまく飛べないだけであるというのと同じである。
このチョムスキーによると、言語を操れるのは人間だけであり、人間は学習によって言語を理解するのではなく、脳に備わった本能によって自然と言語を身に付けることができるとのことです。
でも、やっぱり、「教え方を工夫したら猿だって話せるようになるはずだ」と今でも猿に言葉を教えている研究者がいるようです。
その方々を、チョムスキーは、
どこかの島に、飛べない鳥の種があったとして、どうやって飛ぶかを教えてくれる人を待っていることがあるだろうか。類人猿が言語の能力を持っていることを証明しようとするのは、それと同じことである。
とばっさり。そして、
言葉を話せるのは人間だけ、そして言語は本人の努力による「学習」の結果生ずるのではなく、人間には言語の元になる能力がすでに脳に存在しているから、人間は誰でも言語を使えるようになる。
とのことです。
このチョムスキーという方、言語学の碩学らしく、古今東西の人文科学で引用されているトップテンの第八位に挙げられています。
この本ではないのですが、人類は言葉を使うことによって、自分の得た知識や経験を次世代につなげることができる、そうやって文明を発達させてきた、と読んだことがあります。簡単な言葉によるやりとりは動物も行っているようなのですが、動物は複雑な言語はもっていないらしいです。