病院に行きました。待合室で新聞を読みました。読売新聞でした。我が家は朝日新聞なので、興味深く社説を読み驚きました。
見出しは「非科学的な地裁決定が覆った」とあり、読むと、
大津地裁は、関電による説明が不十分だと決めつけ、運転の差し止めを命じた。ゼロリスクに固執した非科学的な地裁決定を覆したのは当然である。
ふむふむ、続く。
新規制基準は世界的に最高レベルの安全性の確保を原発に課している。基準を尊重した高裁の見解は、うなづける。
むむむ、続く。
原発の運用が司法判断によって振り回される現状は、国のエネルギー政策上好ましくない。
最後までがんばろう。
再稼働に向けて、関電は、人員の拡充による保安体制の強化など、安全管理を徹底すべきだ。
なんだそれは。最後の一文、とってつけたように。知らなかった。日本一の部数を誇る新聞が、原発容認論をとっていたとは。読売新聞社の原発に対する主張は、ようするに
「事故のリスクはゼロではない。しかし、原発は国の政策だ。福島の事故を反省し、リスクをなるべく少なくして、しっかり原発を動かそう」
ということだ。
なんということだ。「隕石が落ちるのが怖くて、家が建てられるか!」と聞こえる。隕石で家が壊される、この「家が壊される」というリスクは仕方がない、我慢する。しかし、原発は、「日本の国土の一部が半永久的に使えなくなる」というリスクなのだ。ただでさえ狭い日本なのに。このリスクに目をつぶれるのか、という話です。しかも、半永久的にというのは、私たちだけではなく未来の遠い子孫にまで負債を背負わせるということだ。原発問題とは、原発のリスクとどう向き合うか、ということであり、そのリスクは他のあらゆる分野のどの事業とも比較にならない大きさだということです。私の意見、というより、小熊さんの意見ですが。
信じられない。日本テレビで、「原発を安全に稼働させるためには」なんていう特集やったらいいじゃないか。
とにかく、驚くと同時に、自分の無知さを恥じた。新聞は多読しよう。産経は、もっととんでもないことになっていそうだ。