どうして読書をした方がいいの?
先月だったか、「大学生の読書離れが進む」というような記事がありました。
記事によると、
1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49.1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24.4分(前年比4.4分減)で、04年以降で一番少なかった。1ヵ月の書籍購入費も減る傾向で、自宅生が1450円(同230円減)、下宿生が1590円(同130円減)で、いずれも過去最低だった。
とのこと。
「読書はした方がいい」という前提のもとの記事ですが、「どうして読書をした方がいいの?」と聞かれて、何と答えたらよいのか困った記憶があります。
この本をもとに、読書のよさについて考えてみました。著者の石原千秋さんは、早稲田大学教授で専攻は日本近代文学です。
言葉の外には世界はない。ぼくたちはまるで言葉の世界に閉じ込められているようなものだ。
「世界は言語である」と石原さんは言います。「モノや現象(行為)が先、名前(名づけ)は後」と一般的には思われているが、実は違う、と具体例を上げて説明しています。
日本では雨のあと空にかかる虹は「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の七色に見えるが、英語には「藍」に当たる一単語がないので六色に見えると言う。アフリカには三色や二色に見える部族もあると言う。
同じ虹を見ても、使っている言語で見える色が異なるとのことです。
もう一つの例です。
ヨーロッパ文化圏には「肩こり」に当たる言葉がないので、「肩こり」という病気(?)の状態がないらしい。「背中が痛い」と言うのだそうだ。「肩こりという言葉がなければ、肩はこらない」のである。
そうなの?また、この2つの例は視覚や痛みなど身体的な例ですが、概念なども同様で、ある概念なり観念があらかじめ存在しそれに名前がつくのではなく、名前がつくことである観念がわたしたちの思考の中に存在することになるとも言っています。
この本ではないのですが、エスキモー語の話も有名です。エスキモー語では、「雪」という単語がないのだそうです。「あんなに雪があるのに、雪、がなければ会話に困るだろうに」と思いましたが、エスキモー語には、降る雪、積もった雪、氷のように冷たい雪、解けかけの雪、などそれぞれ様々なシチュエーションに応じた雪の単語があるとのことです。「雪」というざっくりとした総称ではなく、細かい場面に応じた単語があるとのことです。
また、日本語には「兄」と「弟」という単語がありますが、英語では「brother」と言い、兄と弟を区別する単語はありません。日本では、文化的に年長を敬う上下関係があるので、兄と弟は大きな違いですが、英語圏では兄と弟をわけるような考え方をしないからというようなことです。
まとめると、
豊富な言葉をもてば、その分、豊富な思考や観念、概念をもつこととなる、なので言葉を知った方がいい、言葉を知るための手っ取り早い方法に読書がある
ということになるのでしょうか。
テレビやスマホで情報は手に入りますが、情報と言葉は違います。新聞や出版されている本には、ネットやテレビに比べてより豊かで繊細で正確な言葉が使われている(編集、校閲にかける時間や労力が圧倒的に後者の方が上です)ので、私も本や新聞で言葉とともに情報を得ることを勧めますが、電子書籍やデジタル新聞などを読んでいるのであれば同じことかと思います。