読書生活 

本もときどき読みます

新右衛門さんはもういないのか?

 明治政府は、10年間という短期間でヨーロッパの文明を日本に無理矢理移植しました。廃藩置県、学制、徴兵令…。その中の一つに、四民平等がありました。武士も町民も農民もなし、みんな同じ、というアレです。今まで限られた人間にしか許されなかった姓(苗字)を誰もがつけてもいいよということになり、農民や町人はあたふたしたらしいです。一族みんなが基本同じ姓になるので、一族で集まってどんな姓にするか決めたとのことです。

 司馬さんの祖父の代が、その頃にあたったようです。「司馬遼太郎」はペンネームであり、本名は「福田 定一(ふくだ ていいち )」といいます。司馬さん一族も同じように集まり姓を決める会合を行いました。話し合って「三木」という姓にしたのですが、司馬さんのお爺ちゃんは「お前だけは別の姓にしろ」とみんなから言われて悲しい思いをしたようです。司馬さんのお爺ちゃん、すごくやんちゃな方で嫌われていたようです。

 話が脱線しました。新政府が「全員に姓をつける」ということにしたとき、名前についていくつか付け加えのおもしろいルールがありました。その一つに左衛門(さえもん)、右衛門(うえもん)、兵衛(ひょうえ)というのは廃止するというものがありました。

 一休さんの「新右衛門」さんもそうです。今はいないです。聞いたこともないです。どうして廃止したんでしょう。司馬さんによると、

 これらは大むかしは朝廷の官職であり、室町時代ぐらいから士庶のあいだに普及してそれを名にする慣習ができた。新政府にすればそれでは朝廷におそれ多いというので、その廃止を新政府にすればそれでは朝廷におそれ多いというので、その廃止を新政府の一政策にしたのである。

 だそうです。なるほど。でも、待てよ。元海軍大臣山本権兵衛(やまもとごんべえ)」は?ん?黒田官兵衛(かんべえ)、あれは戦国時代か。あれ?兵衛の読み方って「ひょうえ」?「べえ」?司馬さんのこの本だと兵衛(へえ)となっている。

 ということで調べてみました。といってもネットで検索してみただけだですが。確証は全くありませんが、どうやら「兵衛」は「べえ」でも間違いではないものの「ひょうえ」と読むのが正しいようです。黒田官兵衛も「くろだかんひょうえ」と読むのもありとのことです。

 「〇兵衛」さんはいますよね。もうこの時点で司馬さんの説あやしいのですが…。左衛門さんや右衛門さんを探しましょう。私の周りにはいなかったです。誰か知りませんか?左衛門さんや右衛門さん、いたら教えてください。ご本人ではなくとも、クラスにいた、なんていうのでもいいです。コメントお待ちしています。