読書生活 

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仕事に行きたくないという方へ 『下流志向』内田樹

 会議で競争心まる出しの同僚に年若の前で反論される。きれどころのわからない上司の逆鱗に触れ、大勢の前で怒鳴られる。結論を常に先送りにする、あなたはほんとにその気があるの?と思わずにはいられない取引先。入社以降一切笑顔を見せない向かいの席の新入社員。

 あー。やってられない。自分の能力を発揮したい、そう思って今の仕事に就きました。ところが現実は先の通り。どうですか?みなさんは楽しく仕事、してますか?

 わたしは、入社以来5月どころか一年中仕事に行きたくないと思っていました。何年もです。しかし、あるとき悟りました。「仕事にやりがいなどない」ということを。そんなものはどこにもありません。ないのです。

 内田樹さんは、こう言っています。

 憲法には、国民は「勤労の権利を有し、義務を負う」と定めている。おそらくほとんどの日本人は、憲法に労働することが「権利及び義務」として規定されているのはなぜかその意味について改めて考えたことはないだろう。「仕事をするか、しないか、それは私が自己決定することだ。法律でがたがた言われたくないね。とほとんどの人は思っているはずである。しかし、それが憲法に規定してあるというのは労働は私事ではないからである。自己決定によってしたりしなかったりできるものではない。

 要するに、「仕事は嫌なものだ。だけど義務だから働かなければいけない」ということです。続けます。

 「空腹になったらご飯を食べなければいけない」とか、「火に手を突っ込んではならない」というような法律がないのは、規定しなくても誰にでもわかっているからです。

 憲法や法律で規定する、その線引きはどこでしょう。「ご飯を食べる」は義務ではありませんが「仕事をする」は義務です。この違いは何かというと「みんながほっといてもやることは義務にならず、ほっといたら誰もやらないことは義務になる」ということです。さらに付け加えると、ほっといたらほとんどの人がやらないけれど、やってもらわないと社会がおかしくなるものが「義務」として憲法に定められます。そして、ほとんどの人がやらないことというのは、ほとんどの人が「嫌いなこと」なのです。仕事も納税ももほとんどの人が「嫌いなこと」なのです。好きならば義務とは規定されません。

 本屋には、自己啓発本がずらりとならんでいます。その大半が、仕事にやりがいを求めるためにどうしたらいいか、ということが書かれています。まずい料理をおいしく食べるにはどうしたらいいか、と言っているようなものです。問題なのは、まずい料理を「まずい」と言ったらダメ、自己啓発本に漂うそういう雰囲気です。

 まずい料理を「まずい」と認めましょう。「仕事は嫌なものなのだ」これを前提として押さえましょう。ほら、少しは楽になったでしょう。社内にはいろいろな人がいます。ばりばり働いているように見える人がいるでしょう。そういう人がまずい料理を「まずい」と言えなくしているのです。上司は会社の仕事に対して「まずい」と言うより「おいしい」と言う人間を評価しますから。でも、仕事は基本的に「まずい」のです。あなただけじゃない、みんな「まずい」と思っています。

 しかし、わたしの周りには転職していった多数の同僚がいます。彼らはみな、ばりばり仕事をしていたのです。そして、彼らは「本当にやりたいことが見つかった」「前からそれをやりたいと思っていたんだ」と、背中で語って巣立っていきました。ここの料理もおいしかったけど、もっとおいしい料理を出す店に行くんだ、と言っているわけです。転職者の送別会というのは複雑な気持ちになります。

 内田さんは、転職すること自体はよくも悪くもない中立的な事態とした上で、こう述べています。

 「こんな仕事やってられるか」という不満こそがキャリアアップの原動力となるわけですが、こういう不満をいつも抱えている人間が、周りの人から尊敬されたり信頼されたりすることは難しい。そういう方が現に今働いている職場で高い評価を得るということも難しいでしょう。

 なるほど、そうかもしれません。まずい料理を「まずいまずい」と言いながら食べる客がいたら、その店の雰囲気は台無しです。そのレストランの店は「まずい」んです。みんなそれを知っているのですが、それは言わない約束なんです。なのに、この人は「まずい」と言う。正しいことは言ってもよしと考えるのは幼児と同じです。続けます。

 転職を繰り返す人を見ると、仕事がつまらないから周りと仲よくしようともしない。努力も怠りがちになり、当然評価も下がる。そしてよりつまらない仕事しか与えられなくなり、ますます仕事がつまらなくなる、そして「転職」という悪循環に陥っている人が多いようです。失敗の責任を他人に押し付けて、自分には何の過誤もなく、自分のやったことはすべて正しかったということにする。こういう人はこれを何度も繰り返す。

 うーん。そういう嫌な奴もいたけれど、けっこうみんないい人間でした。内田さん、案外みんな一生懸命やってましたよ。ここは、そんなに共感できません。

 仕事は嫌なものです。でもみんなそれを口に出さないだけです。やりがいを探す前に、休日を楽しみましょう。仕事が嫌なら嫌なほど、休日の楽しさも増すってもんです。そうそう、内田樹さんの本は『下流志向』という本です。

 最後に、4月9日の朝日の読者投稿欄より。19歳の短大生です。この子は凄いです。ある意味内田さんより凄い。

 「労働は自分のためじゃなく」

 人間はどうして労働するのか。それは私たちには与えながら生きていかなければならない義務があり、また隣人として支え合って生きるためではないだろうか。

 私は私が生きていくために必要なものを、親が苦労して働いた分の給料から分け与えてもらっている。だから、今度は自分が与える番なのだ。(略)経済力のある人は、経済力がない人を支えていかなければならない。我が子を育てるためには親は一生懸命働かなければならないが、それでも足りないならばその親を私たちが支えよう。

 私たちは自分が苦労して、得たものを隣人に与え、また隣人と支え合いながら生きている。こんな人生ならばどんなに素晴らしいだろう。労働は自分のためだとは思わない方がずっといい。

 「夢に向かって社会に羽ばたく」などといった寝ぼけた理想論ではなく、「親が苦労して働いた分の給料から分け与えてもらっている」と、仕事は辛いものであることを認識し、「だから、今度は自分が与える番なのだ」と決意しています。

 さらに「自分は自分、人は人」という自己責任論が完全に根付いてしまったこの日本で、「経済力のある人は、経済力がない人を支えていかなければならない。我が子を育てるためには親は一生懸命働かなければならないが、それでも足りないならばその親を私たちが支えよう」ですって。なんという10代でしょう。親御さんがしっかり子育てしたからこそです。あなたみたいな人にこそ、社会で夢に向かって羽ばたいてほしい。そして、もう一つ。あなたみたいな人を取って食おうとする輩も社会には残念ながらいます。あなたなら、「私を騙してあなたが幸せになるのなら、よろこんで騙されましょう」と言いそうです。どうか周囲の大人が彼女を守り、幸せにしてほしい。私はそう思います。