私はせっかちな人間で、人を待つのも待たせるのも苦手だということを以前書きました。
特に待たされることが嫌いです。「お前みたいなもん、おとなしく待っとけ」と言われている気がするからです。考えすぎですか?私だけじゃないですよね(汗)。
「人を待つ」間の心情を、内田さんがこのように表現しています。
「人を待つ」と文字で書けばそれだけのことだが、実際には、このわずかな時間のうちに「相手を思ってふくらむ気持ち」が「どす黒い憎しみ」にまで一気に変貌する。同一行為でありながら、時間、条件でこれだけ意味が変わる動詞を私は知らない。
さらに、
おそらく古人が「待つ」という行為を好んで歌に詠んだのは、それが「期待」にも「焦燥」にも「嫉妬」にも「憎悪」にも、いかような感情を添えてでも解釈できるニュアンス豊かな動詞だったからであろう。
と「待つ」という言葉について語っています。
妻は私を必ず待たせます。必ず時間に遅れるので、「待ち合わせ時間プラス30分」というルールを妻には内緒で作りました。また、待ち合わせ場所を本屋にすれば、全く苦になりません。
妻を待つ間、内田さんが言う「期待」や「焦燥」はありません。「嫉妬」はそれこそ一ミリもありません。「憎悪」とまではいきませんが、「怒り」はずいぶんありました。そこから「激怒」を何度も繰り返し、やがて「諦め」、今では「無」です。「無」の心境で、今日も私は妻を待っています。