朝日新聞7月2日の朝刊の記事です。
「人は見た目が何%?」というテーマで特集が組まれていました。
アンケート結果(304人回答)によると、
Q1 あなたは自分の見た目を気にしていますか?
とても気にしている 20%(61人)
ある程度気にしている 61.5%(187人)
あまり気にしていない 16.8%(51人)
まったく気にしていない1.6%(5人)
Q2 人を見た目で判断することがありますか?
よくある 38.5%(117人)
たまにある 49.3%(150人)
あまりない 10.5%(32人)
まったくない 1.6%(5人)
Q3 今の社会では、人は見た目で判断されていると思いますか?
強くそう思う 41.1%(125人)
ある程度そう思う 52.3%(159人)
あまりそう思わない 5.3%(16人)
まったくそう思わない 1.3%(4人)
ざっくりまとめると、8割の人が「自分の見た目を気にして」いて、9割弱の人が「人を見た目で判断」しがちで、9割強の人が「人は見た目で判断されている」と感じているようです。わたしもこのグループに入ります。
記事には、「だらしない服装をしている人はどうだろう」、「妊娠中に茶髪の子に席をゆずってもらった」など様々な意見がのせられています。
服装や髪の色などは、その人のメッセージのあらわれだと思います。だらしない服装をしている人は、「わたしはこういうことに無頓着な人間なんです」と服装であらわしていることになるでしょう。極端な例ですが、葬儀に白のスーツで参列している人は、「わたしは旧態依然とした慣習にしばられないのです」とか「みんなと違ったことがしたいのです」とか「故人をしのんでいないのです」というメッセージを発信しています。
だから、わたしはシャツのボタンを二つ外してオフィスにいる人はいかがなものかと思いますし、職場に茶髪で来る人にはかまえてしまいます。少し堅い職場なんです。