読書生活 

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宝くじが当たったので働くのをやめようと思いますが…

 宝くじって今、一等前後賞合わせて「10億円」だそうです。平均生涯賃金が約2億円とのことですから、お金には不自由せずに人生を過ごすことができる金額です。

 仕事がいやだ、やめたいやめたい、とブツブツ言ってるわたしですが、「もし宝くじが当たったら仕事をやめるのか」と考えてみました。みなさんはどうですか。

 こんな話を聞いたことがあります。資産家の息子さんがいて、突然父親が亡くなったため、一生食べていくのに困らない遺産が手に入りました。その方は働くのをやめて、念願の自由な生活を始めたのですが、数年後にまた働き始めました(よくこのご時世に仕事が見つかったな、とも思いましたが)。

 その方は、ずっとコンプレックスの塊だったというのです。「自分は一人前ではない」というコンプレックスです。資産のあるなしにかかわらず「働いていない」ということが、その人の心に重圧をかけ、お金はあっても働き始めたという話です。

 先日、ワーキングプアに関するテレビ番組を見ていたら、三十代半ばのホームレスの方が紹介されていました。その男性は公園に寝泊まりし、ごみ箱から週刊誌などを拾って売り、命をつないできたのですが、運よく市役所から、一か月のうちの何日か、道路の清掃をする仕事をもらうことができたのです。番組は彼の姿を追っていろいろ話を聞くのですが、その彼が最後に目頭を押さえて泣くシーンが映し出されました。

 彼によると、働いているときに「ご苦労さま」と人から声をかけられたとのことです。「泣く」という行為どころか、「泣く」という感情すら忘れていた自分の目から自然と涙がこぼれたことに驚いたと言います。

 番組は、そこで終わってしまったのですが、「働くということ」の一つの意味がぼんやり見えてきたような気がしました。

 もちろん「働くということ」の意味はたくさんあるでしょうから、そのたくさんの意味の中の一つですよ。それは「社会の中で、自分の存在を認められる」ということです。同じようにその場にいても、ホームレスとしてたまたま通りかかっただけだったら、声をかけられることはなかったはずです。一生懸命働いたからこそ、ねぎらいの声をかけられたのでしょう。

 そうか、「人から認められる」ということか。そのための手段の一つが「働く」ということなのか。

 以前、こんな記事を書きました。 

yama-mikasa.hatenablog.com

ここにあるようなあざとい「他者からの評価」というより、さりげない連帯感、役に立っている感、これを求めて仕事をしているのです。本当は、「仕事をしているのかもしれません」くらいにゆるく書きたいのですが、ここは、言い切りにします。本当は「言い切りにしたいと思います」と書きたいのですが… 

yama-mikasa.hatenablog.com