読書生活 

本もときどき読みます

恋愛の名言や表現

 おもしろい国語辞典で有名な『新明解国語辞典』で、「恋愛」という言葉を引くとこのように出ています。

特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと(『新明解国語辞典』第7版)

 よくできた切ない表現だなあ、と感じました。誰かを好きになって、この人と一緒になりたいと思う。けれど相手は応じてくれない。そこで「やっぱりだめですか」とすぐに引いて、さっさと別の人に移っていくことができればいいのですが、たいていの人はそれがなかなかできない。引きずってしまうわけです。そういう気持ちがよく表されています。

 本を読んでいるとき、おもしろいな、うまい表現だな、と感じた部分をメモする習慣が昔からありました。そのストックの中に「恋愛」や「恋」の表現がありました。好き、や、愛しているなどの言葉を使わなくても、恋する気持ちがうまいこと表現されています。当時拾った何人かの作家さんの表現を一部紹介します。

 メモするとき、出典を書かなかったり、完全コピーをせず、ところどころ自分の言葉にしていたりする箇所がありまして…。そのあたりはご容赦ください。

 まず、軽いところから。恋愛のはじめの淡い感覚の表現です。 

男が言うと、彼女は肩をすくめるようにして笑った。その顔を見て、彼はまたしても胸の高鳴りを覚えた。

 おそらく東野圭吾の『流星の絆』です。「胸の高鳴り」で淡い恋心を表現しています。まだ、好きになりたてのほやほやです。

彼女と喫茶店で会う約束をし、昴は電話を切った。妙に心が浮きだっているのを彼は自覚した。これから彼女に会えるということ自体が、自分の心を明るくしているのだと認めざるをえなかった。もしも彼女が恋人だったら、この空想は昴の体温を上昇させた。タクシーを拾い、喫茶店に向かう間も、いつもより鼓動が速くなっていた

 「心が浮きだっている」「心を明るくしている」「体温を上昇させた」「鼓動が速くなっていった」ふむふむ。これも多分『流星の絆』です。当時、男性の名称をなぜか「昴」に置き換えてメモしていました。

昴はスマホを操作していた。はい、という彼女の声が聞こえた。呼び出し音の数が少なかった。彼女が彼からの電話を待っていたかのように思えたからだ。

そういうものです。すぐ電話に出ちゃう。それにしても、また「昴」。

 次も東野圭吾さん。『虚ろな十字架』より。

「大好きだ」その言葉を聞いた瞬間、体が浮きあがるような感覚に包まれた。 

「浮き上がる」この表現、東野さん多いですね。  

 次は、恋愛真っ最中の表現です。

彼女とは会えなくなるかもしれないのだ。昴は、自分が彼女に惹かれていることを自覚していた。もちろん最初は下心などなかった。純粋に、若い女性の意見が聞きたかっただけだ。だが今は違う。彼女に会いたくて、あれこれと口実を作り出している。今日の試食会にしてもそうだ。意見を聞きたいというより、彼女に自信作を食べさせたいという思いの方が強い。そして、それ以上に、ただひたすらに彼女に会いたかった

 「会いたくてあれこれと口実を作る」「ただひたすらに彼女に会いたかった」。猛烈に「会いたい」わけです。

デートが終わるともう寂しい。もう会いたくて仕方ない。車を追いかけて走り出したい気分だった。座り込んで、声を上げて泣きたかった。昴と一緒にいられるならば、なんだってできそうな気さえした

 これは、そのまんまですね。ひねりもなにもない。

 ここからは、恋愛にのめり込んでいる状態です。

私、嫌!。ここで昴と別れたら、私には何もない。私、幸せになれるって思った。昴と出会って、やっとこれで幸せになれるって。馬鹿にしないで。私だけおいていかないで。もう一人にしないで。 

私ね、昴と会うまで、一日がこんなに大切に思えたことはなかった。仕事してたら、一日なんてあっという間に終わって。あっという間に一週間が過ぎて、気が付くと、もう一年。私、今まで何してたんだろう。なんで昴に会えなかったんだろう。今までの一年とここで過ごす一日だったら、私、迷わすここでの一日を選ぶよ。 

ただ、もう一度昴に会いたかった。今ここに昴がいないことが辛かった。灯台で自分を待っている昴に、これ以上寂しい思いをさせたくなかった。昴は灯台で私を待っている。絶対に待っている。これまでの人生でそんな場所があっただろうか。私を待っている人がいる。そこへ行けば、そこへさへ行けば、私を愛してくれる人がいる。もう三十年も生きてきて、そんな場所があっただろうか。私はそれを見つけたのだ。私はそこに向かっているのだ。

 おそらく『悪人』が出典です。特に最後は、「灯台」と言ってますから間違いなく悪人です。どうしてここも「昴」なのでしょう。

 続いて文豪です。怖い。

手紙に私のその胸のうちを書き記したため、岬の尖端から怒濤めがけて飛び降りる気持ちで投函したのに、いくら待ってもご返事がなかった。

太宰治の『斜陽』です。

 芥川龍之介がのちに妻となる女性にあてた恋文です。

ワタシハアナタヲ愛シテ居リマス コノ上愛セナイ位 愛シテ居リマス ダカラ幸福デス 小鳥ノヤウニ幸福デス

 岡本太郎にこんな言葉があります。

いつでも愛はどちらかが深く切ない

 また、フランスの作家レニエには、こんな言葉があります。

みずからが苦しむか、

もしくは他人を苦しませるか、

そのいずれかなしには

恋愛というものは存在しない。

 岡本太郎とレニエ、二人ともよく似ています。どちらかは苦しい。悪人のラストシーン、灯台にいる男性をめざして女性が全身全霊で走ります。でも、男性が女性のことをどう思っているか、ほんとのところはわからないわけです。たとえその男性が「好きだ」といってもそれが本当かどうかなんてわかりません。

 暗い気分になりました。「恋する気持ち」つながりの記事です。笑いとばしてやってください。 

yama-mikasa.hatenablog.com