野村監督が、今まで出会った選手を独自の目線で鋭く斬る、そんな本です。長嶋茂雄、王貞治、川上哲治…。彼らの知られざる一面がのぞける興味深い本です。
この本の中に「やっぱり天才は変わり者だった」という章があり、新庄剛志選手が紹介されています。
野村監督は新庄をどう評価していたか。
野村監督は新庄選手をこう振り返ります。
生まれ持った高い身体能力を持っていながら、「考える」という行為が全く苦手だった。これまで何も考えないでも、プロの第一線でやってこれたのは類まれなる素質のおかげであり、その意味では天才タイプだ。しかし、何も考えない。「バカと天才は紙一重」とはよく言うが、彼はまさにそういう人間だ。
新庄選手のことを「天才タイプ」と言っていますが、野村監督は手放しに褒めているわけではなさそうです。野村監督は新庄選手のことを「『バカ』にかぎりなく近い」選手と考えていた、そう読み取ってしまうのはわたしだけでしょうか。
とにかく、新庄選手は野村監督とまったく異なるタイプの選手であることに間違いありません。こういう選手をどう動かすか‥。今回はそういう話です。
新庄は阪神に入団したのがダメだった。
野村監督による新庄選手論を続けます。
これだけ才能を持っていながら、それを生かすための考え方が彼には備わっていなかった。まさに「天は二物を与えず」という選手の典型だったのだ。本当に惜しい選手だった。おそらく最初に入った球団が、阪神であったことが間違いだったのだろう。もし、巨人のような厳しい球団に入っていたら、もう少し野球に対するしっかりした考えが身に付き、その後の彼の野球人生は変わっていたかもしれない。
理論派の野村監督は、まず得意の理論でアドバイスを試みます。すると、新庄選手は野村監督に、
「待ってください。これ以上言われてもわかりませんので、また今度にしてください」
と言い放ったとのこと。新庄選手、言いそうですよね。
ここからが、野村監督の名将たるところです。並の指導者なら選手の欠点を改善すべく、自分の理論を徹底的に押しつけようとします。ときに褒め、ときに怒鳴りつけ、方法はともかく、選手の欠点を改善しようとするでしょう。ところが野村監督は違います。
人を動かす3つの方法
野村監督曰く、人を動かすには3つの方法があると言います。その3つとは、「論理」「利害」「感情」です。
新庄のようなタイプには、論理は通用しない。利害で動かそうとしても、年俸を払うのは球団だから、私にはどうもできない。残るは感情で、彼を動かすしかないと考えた。1999年、春季キャンプで新庄にピッチャーをやらせたのには、そのような狙いがあった。目立ちたがり屋の新庄に、楽しく野球をやらせるという目的である。
新庄選手は、春季キャンプでピッチャーを経験することで、ストライクを取ることがどれだけ難しいかということがわかったと言います。そして、新庄選手の野球に少しではあるけれども変化が見られたとあります。クソボールに手をあまり出さないようになり、上半身から下半身を使うバッティングに変化した、と。
選手をよく観察する。また、よく話を聞き、自らも話す。そして選手の力量や考え方を見抜き、「論理」「利害」「感情」この3つのどの視点で選手を指導すれば、その選手が自分のもつ力を最大限に発揮できるようになるか、そう考える。
野村監督ほどの人ともなれば、自分の理論を選手に押しつけようとすればできると思います。わたしは野球の素人なので、野村監督の野球理論がどれほどすごいかはわかりませんが、評判からするに卓越したモノをもってらっしゃるのでしょう。
「野村監督から指導を請いたい」「その理論を学びたい」そう思う選手は少なくなかったと思います。また、野村監督としてもそういう選手だけでチーム編成できたでしょう。新庄のような選手は、放出したり、二軍に落としたりすることもできたはずです。でも、そうはしませんでした。彼が人気選手だったということもあるのでしょうが、その大きな理由は、野村監督が新庄選手を天才と認め、「論理」一辺倒ではなく「感情」で彼を刺激することができると判断したからです。
この章の締めの文章です。大きく共感しました。
「人を見て法を説け」ということわざがあるが、まさしく一人ひとりの個性や状況に合った指導が大切だということだ。この選手でうまくいったから、あの選手も同じように指導すればうまくいくということは決してないのである。新庄はそのいい例であった。
これができないと、選手も指導者も袋小路に入り、両者の間に不信感が生まれるのでしょう。