読書生活 

本もときどき読みます

文豪の描く夏の表現

 夏の表現を文豪の小説から拾ってみました。一口に「夏」と言ってもその表現の方法は小説家によって様々です。随時更新しています。

安部公房 

太陽の光があまりにも激しすぎた。男は激しく身をすくめ、光の棘から身をふりほどく仕種で、素早く首を下げ、シャツの襟をつかんで、力任せにひきむしった。『砂の女』

あたりを見まわしながら、上衣の袖で汗をぬぐった。『砂の女』

有吉佐和子

話をきかせてくれた乳母の民に早速ねだって隣村の平山へ出かけたのは夏で、めざす家の前庭には雑草が生い繁り、気違い茄子の白い花々が暑苦しい緑の中で、妙に冴え冴えと浮かんで見えた。枳殻(からたち)の牆(かき)の前で、民は振返って得意そうに小鼻をひらいてみせたが、加恵は頷くことも忘れて、庭に打水している於継の美しさに見惚れていた。『華岡青州の妻』

雨は卯の花を腐した後すぐ梅雨に続き、そのまま惰性のように降り続いけて寒さがぬけないと思っていたのに、いつのまにか蒸し暑いがきていた。『華岡青州の妻』

川端康成 

「明るいところでは少し話しにくいの」

「それでは白い満月の薄明りで聞くかな」

私の声に誘われて、八重子もお夏も夕空を仰いだ。

「まあね!ほんとに白い満月ね。」

と八重子が言った。

 この時、瞼が病的な線を描いているお夏の眼が不思議に清らかに光っていた。山深い夏の空の白い満月が黒い瞳の上につつましく姿を重ねていた。『白い満月』

庭は石楠花の花盛りである。つつじの大きい造花のようなこの花は、余りに派手すぎるのに匂いがないためか、見ていると空虚な感じがして私の気にいらない。谷川の向う岸の蕨はすっかり伸びてしまって若葉を拡げている。杉林はもう午後らしくほの黒い落ち着きの中に黙りこくっている。『白い満月』

北原白秋

 夏の祭は紅い金魚の尾鰭のやうに華やかで、また青い乾草のやうに日向くさい、何かしら胸さはぎのするものです。その遠くで昼の花火があがるのです、黄色い煙の花火が。
 夕方になると田舎では田圃の水にかへろが啼いて、蛍がほうほうと、堆肥のかげから飛んで出ます。すずしい白の蓮も、唐黍畑の向うからいいかをりを湿らして来ます。町の方でも大きな桃色のお月さまの下でわつしよい/\とやつてゐます。『祭の笛』

司馬遼太郎 

暑い季節で、汗が下着から帷子まで、ぐっしょりと濡らし、それがしぼるばかりになったが、光秀は、かまわずに歩いた。南山城の野には、竹藪が多い。すでに竹は葉を新しくし、めざめるばかりの青さで、野面のところどころに群がっていた。『国盗り物語 三』 

 このとき、太陽のそばに一朶(いちだ)の黒雲があらわれ、たちまち一天にひろがり天地が陰々としてきた。夕立の気配が満ちてきたのである。

 「雨よ」とたれかが叫んだのは、正午ごろであったか。天が暗くなったかと思うと、たちまち砂礫を飛ばすほどの暴風になり、雨が横なぐりに降り始めた。

 軍を前進せしめるようななまやさしい風ではなかった。地を這わなければ吹きとばされそうになるほどの風速で、しかも滝のように降ってくる雨のために視界はほとんどなかった。『国盗り物語 第三巻』

太宰治

私は電灯を消した。夏の月光が洪水のように蚊帳の中に満ちあふれた。『斜陽』 

野も山も新緑で、はだかになってしまいたいほど温かく、私には、新緑がまぶしく眼にちかちか痛い。『女生徒』

ことし、はじめて、キウリを食べる。キウリの青さから、夏が来る。『女生徒』

星が降るようだ。ああ、もう夏が近い。蛙があちこちで鳴いている。麦がざわざわいっている。何回、振り仰いでみても、星が沢山光っている。『女生徒』

お部屋へ戻って、机の前に坐って頬杖をつきながら、机の上の百合の花を眺める。いいにおいがする。百合のにおいをかいでいると、こうしてひとりで退屈していても、決してきたない気持ちが起きない。この百合はきのうの夕方、駅のほうまで散歩していって、そのかえりに花屋さんから一本買ってきたのだけれど、それからは、この私の部屋は、まるっきり違った部屋みたいにすがすがしく、襖をするするとあけると、もう百合のにおいが、すっと感じられて、どんなに助かるかわからない。『女生徒』

「夏の花が好きな人は夏に死ぬっていうけれども、本当かしら」今日もお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんなことをおっしゃった。私は黙ってナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。『斜陽』

私はお母さまの後について行って、藤棚の下のベンチに並んで腰を下ろした。藤の花はもう終わって、柔らかな午後の日差しが、その葉を通して私たちの膝の上に落ち、私たちの膝を緑色に染めた。『斜陽』

ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅い睡蓮の花が咲いているのが見えました。『人間失格』

谷崎潤一郎

まだ日の長い暑い時分のことだったので、すっかり障子を明け放してある西側の窓から、夕日がぎらぎらとさし込んでいる。そのほの紅い光を背に浴びながら、白いジョオゼットの上衣を着て、紺のサージのスカアトを穿いて、部屋と部屋との間仕切りの処に立っているのが、云うまでもなくシュレスムスカヤ夫人でした。『痴人の愛』

夏目漱石   

そのうち、強い日に射つけられた頭が、海のように動き始めた。立ち止まっていると倒れそうになった。歩き出すと、大地が大きな波紋を描いた。『それから』

代助は両手を額に当てて、高い空をおもしろそうに切って回る燕の運動を縁側から眺めていた。『それから』

もっともその日はたいへんないい天気で、広い芝生の上にフロックで立っていると、もう夏がきたという感じが、肩から背中へかけていちじるしく起こったくらい、空が真っ青に透き通っていた。『それから』 

代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散って、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱっと顔に吹き付けたような心持ちがした。『それから』 

私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。『こころ』

次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生と一所の方角に泳いで行った。二丁ほど沖へ出ると、先生は後を振り返って私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私たち二人よりほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で踊り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げつけた。『こころ』

先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。私は私を若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝につけているものは一つもなかった。細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。『こころ』

うるわしい空の色がそのとき次第に光を失って来た。目の前にある樹は大概楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行く様に思われた。『こころ』

枳殻(からたち)の垣が黒ずんだ枝の上に、萌えるような芽を吹いていたり、柘榴(ざくろ)の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。『こころ』

私はその時また蝉の声を聞いた。その声はこの間聞いたのと違って、つくつく法師の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え着くような蝉の声の中に凝と座っていると、変に悲しい心持になることがしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈しい音と共に、心の底に沁み込むように感ぜられた。私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情緒を変えてきた。油蝉の声がつくつく法師の声に変わる如くに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。『こころ』

我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総の其所一里に騙されながら、うんうん歩きました。そうして暑くなると、海に入って行こうと云って、何処でも構わず潮へ漬かりました。その後を又強い日で照りつけられるのですから、身体が倦怠くてぐだぐだになりました。『こころ』

藤沢周平 

灌木の間には羊歯が生い茂り、地面は厚い苔で覆われている。杉の梢から薄日の光が洩れて、二人が歩いて行く小径を照らし、顔の前を不意に小さな蝶が横切ったりした。『密謀(上)』

炎天の中を長い間休みなく馬を走らせて来て、全身汗にまみれている。松の枝が日射しをさえぎり、わずかに風が通り抜けてはいたが、草の上にあぐらをかいて坐ると汗が首をしたたり落ちた。『密謀(下)』

松の影が草原を這って、長く東にのび、草の上の武将たちはいるの間にか、射して来る日の光のただ中にいたが、草いきれをともなう暑さはおさまっていた。日は遠い丘の頂きに接近していて、日射しは赤味を帯び、丘の上に涼しい夕風が通り始めている。『密謀(下)』

三島由紀夫

窓の前の青桐の葉が下から光を受けて、影が重複して、広い葉叢(はむら)がいよいよ柔らかく見える『真夏の死』

安枝は手を後ろに支え、足はのびのびして沖を眺めた。積乱雲が夥しく湧いて、そのいかめしい静けさは限りなく、あたりのざわめきも波の響きも、雲の輝く荘厳な沈黙の中に吸い取られてしまうように思われる。烈しい太陽光線にはほとんど憤怒があった。『真夏の死』

夏はたけなわである。沿道の家の裏手に、向日葵が獅子のように鬣(たてがみ)を奮い立たせている。自動車の埃が、向日葵のあからさまな花の面にかかる。『真夏の死』

木洩れ日は何もない芝生の上に斑を描き、それがふと目の加減で、安枝の緑色の水着の起伏の上に斑点を落としているように見える。『真夏の死』

沖には今日も夥しい夏雲がある。雲は雲の上に累積している。これほどの重い光に満ちた荘厳な質量が、空中に浮かんでいるのが異様に思われる。その上部の青い空には、箒で掃いたあとのような軽やかな雲が闊達に延び、水平線上にわだかまっているこの鬱積した雲を見下ろしている。下部の積雲は何物かに耐えている。光と影の過剰を形態で覆い、いわば暗い不定形な情欲を明るい音楽の建築的な意志でもって引き締めているように思われる。『真夏の死』

胸元のリボンは、風を孕みかけて恥らっていたが、その白絹の光沢と見間違うばかりに、彼女のあらわな腕は白い。夏が来てもその腕は残雪のように白かった。『翼』

折から満開の躑躅(つつじ)に囲まれていた。白がある。洋紅がある。絞り模様がある。物音のたえた石畳には躑躅の低い硬質の影が映り、蜂の羽音だけが、眠っている午後の時の寝息のように聞こえている。『翼』

B寮はいちばん外れの寮で、殊に二階の魔王の部屋からは、学校の地所のゆるやかな匂配をおおうている五月の森の輝きが見渡された。風にそよぐ枝々や葉叢(はむら)の動きは、まるで酩酊しているようにみえた。『殉教』

常子がこんな幻想に浸っているうちに、車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹き付ける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木洩れ日が熱い雪のように霏霏(ひひ)と落ちている参道の石段を下り始めた。『三熊野詣』

夏の熱海は季節外れだった。団体客もないではないが、熱海市全体が夏の烈しい日の下に、うつらうつらと午睡をしているように見えた。そして冬や春秋の日ざしの中では情緒的に見える土産物店の列なりも、ギラギラした夏の日に照らされると、埃っぽく安っぽく見えた。『永すぎた春』

 

庭には、午前の太陽がきびしく照りわたり、蝉がこもった鳴き声を立てていた。『女神』

森鴎外   

青い美しい苔が井桁の外を掩(おお)うている。夏の朝である。泉をめぐる木々の梢には、今まで立ち込めていた靄が、まだちぎれちぎれになって残っている。漂う白雲の間を漏れて、木々の梢を今一度漏れて、朝日の光が荒い縞のように泉の畔に差す。『杯』

木立のところどころで、じいじいという声がする。蝉が声を試みるのである。白い雲が散ってしまって、日盛りになったら、山をゆする声になるのであろう。『杯』

一本一本の榛(はん)の木から、起きる蝉の声に、空気の全体が微かにふるえているようである。『カズイスチカ』

吉村昭

虹の色は徐々に濃くなり、夕空が華やいだ。夕方の虹は好ましい前兆で、殊に初夏の虹はさんまの豊漁を意味する。『破船』

山肌が、緑につつまれるようになった。風が東の方向から渡ってくることが多くなり、強く吹きつける日は稀になった。『破船』

或る夜、雷鳴がとどろき土砂降りの雨があって、梅雨が明けた。陽光が強くなり、伊作の顔も手足も日焼けした。『破船』

好天の日がつづき、水平線に入道雲がつらなった。空がにわかに暗くなって、激しい雨がひとしきり降ることもあった。『破船』吉村昭

緑の色が濃くなって陽光も強さを増し、乾されたイカには蠅がむらがった。『破船』

夏も終わりに近づいた頃、村は激しい風雨にさらされた。午の刻過ぎから生温い風が吹き、空に黒雲が走り始めた。大粒の雨が落ち、やがてそれは襲いかかる波浪のように密度を増した。さらに日没頃から強風がうなり声をあげて吹きつけ、雨が家の板壁や屋根に音を立ててたたきつけてくる。風は山の方向から吹き下ろしてきていて、折れた枝葉が絶え間なく屋根や板壁に音を立てて当たる。『破船』

樹々の葉が、真夏の陽光を浴びて濃い緑の色をひろげている。『破船』

江戸大伝馬塩町の家並には、暑熱がよどんでいた。まばゆい陽光にさらされた道は、白っぽくかわき、陽炎が立ちのぼっている。道を往きかう人々はしきりにながれる汗をぬぐい、荷を背にした馬の体毛も汗にぬれていた。『長英逃亡 上』 

時折り、空がかげると稲光がひらめき、雷鳴がとどろいて激しい雨が落ちる。『長英逃亡 下』

太陽は、熱い光をふりまき、草原には陽炎が立っていた。自動車の列からは、セロファンのような透明な炎が立ち昇り、陽炎ときそうように空気をゆらめかせていた。『蚤と爆弾』

樹葉の緑は濃く、まばゆい陽光を浴びている。駅にとまるたびにおびただしい蝉の声がきこえた。『光る壁画』

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