名言を使うタイミング
『バーナード嬢曰く』という漫画があります。読書家風を気取る女子高生が主人公の漫画です。その漫画に、名言について書いてありました。
短くてキャッチーな名言という物はそんなに多くない。ちょっとした小話くらい長かったり、前後の文脈がわからないと伝わりにくかったりと、普段会話の中で引用するには厳しいものばかりだ。「これは‥!」と思い、いつか使おうと覚えても、そんなタイミングは滅多に訪れないし、その瞬間が来たところでスッと思い出すことは出来ない。繰り返し読んで、血肉にしていなければ結局意味がないのだ。
その通りです。ふむふむ。続けます。
本来偉人の名言を引用する状況というのは、誰かを説得する時だろう。後ろ盾的なものとして活用する訳だが、相当勇気がいる。突然シェイクスピアを持ち出した所で、「いやいや、読んだことねえだろ」とか「うわー、シェイクスピアとか真顔で言っちゃえるんだ!」とか思われたら終わりだ。
いったん、引用ストップです。
たとえば、トルストイの言葉で、
深く愛することのできる者のみが、また大きな苦痛をも味わうことができるのだ。
というものがあるのですが(今ネットで調べました)、失恋して落ち込んでいる人に対してこの言葉を持ち出したところで、「真顔でトルストイとか言えちゃうんだ」とか思われたら、かなり恥ずかしい。
では、どういうときに名言を言えばいいのでしょう。
名言はカウンターで出せ
『バーナード嬢曰く』では、名言はカウンターで出せと言っています。
一番スマートな名言の使い方は、相手が繰り出した名言に、「だが、こうも言ってるぜ?」とカウンターを決めることだ。
カウンターの例として、ガンジーを挙げています。これです。
「マハト・ガンジーは言っている。『目には目をでは、世界を盲目にするだけだ』…と」
「だが、ガンジーはこうも言ってるぜ?『臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、私はむしろ暴力をすすめるだろう』ってな!」
という具合です。
カウンターを決めるための3条件
なるほど。でも、このようなカウンターを決めるためには、以下の3つの条件が必要です。
(1)同じ人物が言う正反対の2つの名言を探す
(2)それを、瞬間的に言えるようになるまで暗記する
(3)相手がどちらかの名言を知っていて、それを使ってくれる場がくる
(1)がまず難しいです。同じ人間が使う全く正反対の名言となると‥。
(2)口火は相手が切るわけです。ここで言おう、という自分からの攻撃ではなく、相手のセリフに反応する、いわゆる受け身です。しかも、間髪入れずに言えなければカウンターとはならないでしょう。数分後に思い出して、「さっきの話だけどさ、ガンジーは…」と言うくらいなら、言わないほうがましです。
(3)ドラマじゃないのでそんな場面はない、と断言できます。
わたしのお気に入り名言
血肉になるほどこびりつく名言というのは、そのことで眠れないくらい思い悩んだ、とか、引き裂かれるような苦しさを味わったとか、そういう自分の悩みや劣等感の穴を埋めるものでしょう。
わたしのお気に入りの名言はこれです。
ハートの全てを注ぎ込めば、勝利するかどうかは問題ではない
マイケルジョーダンのセリフです。この記事で紹介しました。
何やってもうまくいかず、がんばってるつもりなのに結果が出ず、腐っていたときにこの言葉を知りました。「努力は必ず報われる」ってよく言うけど、ホントかな?努力しても報われないことあるぜ、報われたかどうかじゃなくて、やり尽くせばいいのさ、という思いを、このマイケルジョーダンの名言にのせて書きました。
「ハートの全てを注ぎ込めば、勝利するかどうかは問題ではない」かっこいい。本当にそのとおりだ。そうか、マイケルジョーダンの名言で、「勝利が全て」的なセリフを探してみよう。
な・ん・と・・・。マイケルこんなこと言ってました。
努力すれば報われるって、ずっと信じてきたんだ。
これ、マイケルのセリフです。努力すれば報われる…カウンターで、さっきの記事の全否定になってしまった‥。
おまけ
今回調べて知った、新しくお気に入りに追加したマイケル名言です。
僕はどんな選手とチームを組みたいのか?
僕は、チームのために犠牲を払うのは嫌だ、
という5人のスーパースターとチームを組むよりも、
個々の能力はそれほどでもないが、
ひとつのチームとして結束できる
5人の選手とプレイをしたいと思っている。
一瞬でも基本を忘れたら、
根本から崩れさってしまう。
スポーツにおける正しい技術、
会社における倫理、
心構えといった基本を忘れたら、
試合に勝てないし、
会社や学校で成績をあげることもできない。
2つ目のものは、今少し仕事や生活で「ぶれている」わたしにぴたりときます。