一片の骨を見て、人の痛みや辛さに思いをはせる作家
解説にこうあります。
吉村昭は人間の苦痛を知っている。そして、そのことは人間は苦痛のなかをはいまわって今、ここという場所に到達しうるのであることを教えている。
この吉村昭さんの『脱出』は、今の平成の時代に到達しうるまでに、人間は苦痛のなかをはいまわってきたということをわたしたちに教えてくれます。この本は、終戦後の転換点を見つめた短編集です。今回はこの中の「他人の城」を紹介します。
他人の城
「他人の城」は、沖縄から鹿児島への疎開命令に服した人々を乗せ、雷撃沈没した対馬丸で生存した旧制中学三年の少年の物語です。日本が忘れてはならない歴史の一ページです。
本土へ疎開を強要する軍
戦局は悪くなる一方の昭和20年、島へ米軍が来襲するだろうという予想は島民にもあった。島には将校が溢れ、至る所に壕が掘られ陣地が構築されていった。しかし、島民の危機感は薄かった。そのような島の気配も戦況の悪化にともなう自然の成り行きだと島民は感じていた。
しかし、突然のように軍から本土への疎開命令が出された。公には沖縄県民の保護であったが、実際は米軍との戦闘に足手まといになる非戦闘員をできるだけ少なくしたかったからだった。
対馬丸に乗る旧制中学3年、比嘉儀一
沖縄の旧制中学3年生、比嘉儀一は、約700人の学童を含む1680名の疎開者を乗せた対馬丸に、母と幼い弟や妹と乗り込んだ。階段はない。吊り梯子がいくつも垂れていた。荷物を背負った老人や幼児がそこに飛び乗り梯子を登った。
船の中は暑い。甲板には自分のように涼を求めているものが多くいた。中には暗い海をじっと見つめているものもいた。この船を狙う敵軍艦や潜水艦はいないかどうか探っているとのこと。
船の揺れが多くなった。どうやらジグザグに進んでいるらしい。これは敵潜水艦を警戒しての動きだと教えてもらった。息をひそめて皆が船の無事を祈った。このような動きが日に日に多くなっていった。
沈む対馬丸
真夜中、シンバルのような音で目が覚めた。船が傾いている。泣いている弟の手をつかみ甲板に上がった。数発の魚雷が当たったらしい。一気に傾く船。激しい渦とともにあっという間に沈んでいった。渦にのまれ海中深く沈み込みいつの間にか気を失った。
気がつくと海に浮いていた。まわりを見ると死体ばかり。つついても話しかけても返事がない。生きている人間を必死に捜した。すると、浮いている筏が見えた。筏には人の姿が見える。その筏に向けて泳いだ。
筏の上で殺し合う人間
筏に近づいた。そこでは多くの人がひしめき合っていた。怒号と共に、他人を足蹴にし、引っぱり、押していた。殺気に満ちていた。老婆の肩に中年の女がしがみつき、老婆はその女の顔を拳で繰り返し殴る。そのうち、強い波が押し寄せ二人とも海面下に落ちていった。
筏に近づけず、付近で泳いでいると、儀一の背中にしがみついてくる者がいた。ふり返ると、赤ちゃんを背負った女だった。赤ちゃんの顔面は海中に沈んでいる。死んでいるようだ。その女を振り払うために、儀一は一度海中深くに潜った。
女をやり過ごした儀一だったが、恐ろしくて筏に近づけない。少し離れた所に木箱が浮いていた。儀一は、木箱にしがみつき離れていく筏を黙って見ていた。
そういえば、弟はどこへ行った?今まで何時間もあったのだが、一度も弟のことを思い出すことがなかった。妹は?母親はどこへ行ったのだろう。大声で弟を呼び続けた。しばらくすると返事があった。弟は生きていた。二人は壊れかけた筏を見つけ、その上に乗った。安心して眠ってしまった。
筏での漂流生活
目を覚ますと、見知らぬ10人ほどの人間が筏に乗っていた。暑さのため皆が下半身を海中に入れた。その中の一人が悲鳴を上げた。海中に入れた足を鮫に食われたらしい。海が血で赤く染まった。その匂いに多くの鮫がよってきた。鮫は何度も執拗に筏に当たってきた。大きな鮫の白い歯や無機質に見開いた目が恐ろしい。
長い時間が流れた。何人もの人間が死んでいった。雨で喉の乾きを潤し、たまに飛び込んでくる飛魚を捕まえ食べた。
救出
遠くに船影が見えた。服を脱ぎ、その船に向けて思い切り振った。船がこちらに向かってきた。本当に日本軍なのか?
その船は日本の掃海艇だった。船に乗せてもらい粥と水をもらった。
乗船者1680名中、船員をのぞく生存者は177名。700名の学童も59名しか生き残ることができませんでした。
この後、儀一少年は沖縄の人間ということで日本人から侮蔑されます。やっとの思いで戦後戻った沖縄では、地獄絵のように変貌した町を見て呆然とします。
対馬丸の惨劇は知っていましたが、沖縄に対する差別については知りませんでした。自分の国と思えない寂寥感に襲われます。