礫責め、石抱き。江戸の拷問は強烈だ。
吉村昭の『桜田門外ノ変』を読みました。大河もちょうど今、井伊直弼が暴れてますし。中学校の教科書にも載ってるくらいの有名な事件ですが、吉村昭にかかると、事件に至るまでのあれこれを何台もの隠しカメラで見させてもらった、くらいのわかりやすさがあります。それにしても、いつも思うのですが、吉村さんはこれどうやって調べているんでしょう。
本筋については、すごくお詳しい方がたくさんいますからここでは触れません。本筋とはあまり関係ないけれど、ひっかかったことについて書きます。
追われても、河原に逃げるな。
お尋ね者の兄弟が冒頭に出てきます。声をかけたら逃げ出したので、大勢で追いかけました。追いかけて追いかけて、とうとう河原に追い詰めました。後ろは川、前にはたくさんの捕方。捕方が兄弟に向かって叫びます。
「ご老公(斉昭)様、中納言(藩主慶篤)様のご命令により召捕る」
すると、二人は川を背に立ち刀を抜きました。簡単にはやられねえぜ!といったところでしょう。
ところが、この二人、刀を抜いたはいいのですが、捕方にかすり傷一つ負わすことができずに捕まります。
恐怖の石攻撃。
剣を抜いた二人に対し、捕方はどう対抗し捕まえたのでしょうか…。
え?わかる?この本には当たり前のように書いてあるのですが、正解はこうです。引用します。
斬り合いになっては、むろん、捕方に利はなく、指揮する代官の手代が河原の石を手にすると投げた。
そりゃあね、こうして読んでみると当たり前のように思いますが、石を投げるんですよ。しかも思い切り。続けます。
それがきっかけで捕方たちは、一斉に石を浴びせかけた。兄弟が刀をふるって捕方に近づくと、捕方たちは逃げる。そのうちに兄弟の顔や体に石があたりはじめ、ひるむ二人に石が集中した。やがて、二人の顔から血が流れ、谷田部(兄弟の名前です)の髷(まげ)もくずれて髪も朱に染まった。
わたしなんか、根が悪党なので捕方よりこの兄弟に感情移入してしまいます。痛い、辛い、悲しい。こちらが痛がると向こうは調子に乗るから、痛いの我慢して刀を振りかざし、何とか距離を詰めようとするもうまいこと逃げやがる。そして、また石攻撃。
痛いでしょう。心が折れるわけです。すると、
捕方たちは、勢いづいて石を浴びせながら近づき、襲いかかり、それぞれ刀をうばって荒々しくしばりあげた。
石が当たったら無事じゃすまないでしょう。痣とかたんこぶとかその程度ならまだいいです。この兄弟の様子があります。
二人の顔や頭には石を浴びた傷が所々にあり、谷田部の片方の眼はつぶれてはれあがっていた。
目がつぶれたって。お前らやりすぎだ!なんでもありかっての。
次に、白州の上から見た二人の様子。
二人の体には縄がきつく食い入っていて、顔と頭には、なぜか知らぬが所々にかなりの傷跡があり、青黒くなっている。口には、舌をかみ切らぬように麻縄でくくられた細い青竹がくわえさせられていた。寒気で体が瘧(おこり)のようにふるえ、鼻腔と口から洟と唾液が流れ、衣服の胸から膝のあたりまで濡れている。
「なぜか知らぬが」じゃなくて「かなりの傷跡」じゃなくて、たくさんの人間に石を思い切り投げられて、目がつぶれたんだってば!
石抱って、シンプルに痛い!
この兄弟に対する吟味が強烈。服を脱がせて鞭を打ちます。皮膚が破けて流血してもさらにそこに鞭を打つ。そして、恐怖の石抱き。そろばんみたいなぎざぎざの木製の板の上に座らされて、その膝の上に200キロの石をのせる。あほか。あほか。
吟味役は、牢役人に石抱の拷問を指示した。十露盤板(そろばんいた)と称する三角形の突起の並ぶ台の上に坐らせ、体を支柱にくくりつけて膝の上に長さ三尺、幅一尺、厚さ三寸の青石を積みかさねる。一枚の石の重さは十三貫目(49キロ弱)で、それを5枚のせる。体は青くはれあがり、口から泡をふく。脛の肉が十露盤板に食い込んで骨も折らんばかりだった。
まあ、黙秘していたからきつい拷問を受けることになったのですが、この二人、このあと喋っても首をはねられます。
もう一つ、この本には石抱の描写があります。
吟味役は石抱の拷問にかけた。積み重ねた重い青石をのせられた膝が角材に食い込み、骨がくだけんばかりになり、吟味役は白状せい、と叫んだが、日下部は応ぜず、さらに石が積まれ、かれの頭より高くなった。
一枚の重さが約50キロの石を、頭の高さより高く積み重ねるわけです。しかし日下部は自白しない!吟味役はこの後、どうするかといいますと。続けます。
つきそいの番人が、左右から石を押してゆらせたので足の骨がくだけ、血がほとばしった。
考えることは、今とそれほどかわりませんね。左右から揺らすんですって。それでも、日下部は自白しない!
この後、日下部はどうなったかと言いますと、
吟味役は、日下部の頑固さを憤り、石をとりのぞかせた後、衣類をはぎ取ってささくれ立った竹で強くたたかせ、縄でかたくしばったまま獄内にもどした。その夜は、ことのほか寒気がきびしく、日下部は体をふるわせていたが、夜明けを待たず死んだ。
悲しすぎる。