おもしろい小説を久しぶりに読みました。浅田次郎の『黒書院の六兵衛』です。
あらすじ
あらすじは簡単です。上巻の背表紙より。
江戸城明け渡し迫る中、開城のため、官軍のにわか先鋒隊長として、送り込まれた尾張徳川家・徒組頭の加倉井隼人。勝安房守に伴われ宿直部屋で見たのは、無言で居座る御書院番士だった。ここで悶着を起こしては江戸城が戦に。腕ずくで引きずり出してはならぬとの西郷隆盛の命もあり、どうする、加倉井。奇想天外の傑作ここにあり。
ストーリーは単純です。主役は正座してるだけです。本名も素性もわからない謎の男が、江戸城内に居座っちゃってさあ大変、という物語。
旧幕府軍と新政府軍の対立をよそに、不戦開城した江戸城の引き渡し作業を命じられた尾張の下級藩士の加倉井。小心者でノーと言えない加倉井は、頼りない少数の部下を連れビビりながら入城します。
城内になぜか居座る男 的矢六兵衛
待ち構える城のお偉いさんたちは加倉井にいちいち嫌味を浴びせ、面倒事を押しつけます。不戦開城の立役者である勝海舟からは、「城内に居座る謎の男を、事を荒立てずに追い出せ」という意味不明な任務を告げられる始末。江戸城はいずれ御所になるため、刃傷沙汰はご法度。あくまでも穏便に自主的に退去させろ、と言うのです。
ところが、その謎の男・的矢六兵衛は一切しゃべりません。黙って正座するのみ(お風呂、食事、トイレなどには行く)。しかも、上位の人間しか入れない重要な部屋にしれっと入っては、居座ります。
的矢六兵衛 あんたは一体誰?
一切しゃべらないけど、佇まいは美しく威厳あり。この的矢六兵衛とは誰かを調べるため、加倉井は通辞の福地源一郎とともに六兵衛の身辺を探り出します。調べ始めてすぐに、今の的矢六兵衛は本物の的矢六兵衛ではないらしいことがわかります。さらに調べを進めると、今の的矢六兵衛は借金まみれだった本物の的矢六兵衛に金を出し、一夜にして家族ごとそっくり入れ替わったニセモノらしい。彼は一体何が目的で六兵衛を語り、城内に居座るのか…。
ある日、会社に行ったら隣の席に見知らぬ男が座っている。同僚の佐藤の席に座るこの人は誰だろう?といぶかしんでいると、他の同僚もこのニセ佐藤を見て「?」となる。上司の「おい、佐藤」と言う呼びかけに対し、このニセ佐藤は堂々と返事をして席を立つ。上司の対応をひやひやしながら見ていると、上司は何も変わらずニセ佐藤に指示を出している。しばらくあった違和感もすぐになくなり、今では元の佐藤の顔が思い出せなくなっちゃった、そんなところですかね。
的矢六兵衛がニセモノだと知りつつ、黙殺した当時の的矢の上司は、色々とうるさく聞き回る加倉井にこう言い放ちます。
おぬしらはいったいわしから何を聞きたいのじゃ。顔つきを見るに、どうもわしを責めておるように思えるのがの、話のどこに不都合がある。
よいか。もとの的矢六兵衛と申すは、おせじにも出来のよい侍ではなかった。武術はからきし、学問はない、取柄と申せば酒宴の座持ちくらいじゃ。
しかるにやつと入れ替わった的矢六兵衛はどうじゃ。
洒落や冗談どころかめったに口も利かぬ。居ずまいたたずまいは番士の手本じゃ。虎の間に腰を据えれば瞬きひとつせぬ。太刀筋は直心影流と見た。誇らしきことは何一つ口にせぬが、免許者に違いない。
名も職録もそのままに、無能の御番士が武士の鑑と入れ替わって、何かまずいことでもあるのか。そのうえ上司には礼を尽くし、なさぬ仲の両親にまで孝養をいたし、もってお仲間の士道を振起せしめること、なまなかではないのだぞ。
きれいなジャイアンで何が悪い、ということのようです。ああ、耳が痛い。
正体は誰?と考えながら読むと、もしかしたら読後モヤモヤするかもしれません。城を出た六兵衛は、家族と一緒にどこへ行くのだろう、なんてことをわたしは感じましたよ。まとめようとしたら一文ですむ話です。これを、なかなかのボリュームで最後まで読ませるのは浅田次郎の手腕ですね。
西郷や勝海舟だけでなく、大村益次郎、木戸孝允、大久保利通、天璋院、徳川家達(徳川16代)などの幕末オールスターが登場します。六兵衛の正体は?居座る理由は?動くのか?残り少ない夏休みにいかがでしょう。