読書生活 

本もときどき読みます

子どもの前でおろおろする先生が好き。『二十四の瞳』

二十四の瞳に出てくる大石先生が好き

 ちょっと前にこういう記事を書きました。

www.yama-mikasa.com

体罰するな、人を殴るな、という内容です。

 

 

 二十四の瞳っていう本があります。この話に大石先生という方が出てきます。女学校を出たばかりの若い先生で、教科書を教えるぐらいはできるんですが、子どもに相談されてもろくに受け答えもできません。

 音楽学校に行きたいという子どもがいて、その子と一緒にお母さんにお願いに行くのですが、お母さんが「ダメです」と言ったら、子どもに「やっぱりダメだって」って言うだけで、おしまい。

 貧乏な家の子どもがどこかに奉公に出されると言っても、「かわいそう」と言って、ただ泣くだけです。

 戦争が始まって、教え子が戦場に送られていって、中の一人が失明して帰ってくるんですけど、それも「かわいそう」と言って、一緒に泣くだけ。

 子どもが困っても、ただおろおろして泣くだけの先生です。

 

 親の不仲に悩む子どもの家を大きなハンマーかついで家庭訪問し、両親の部屋の間にある壁を破壊するとか、放送室を占拠した悪ガキが警察に逮捕されそうになるところを必死で止めようとするとか、そういうスーパー先生エピソードがありません。

 今の小学校に連れてきたら、たぶんあっという間に学級崩壊してしまうほどに指導力のない先生なんです。教師としての責任を果たせていないじゃないかって親からのクレームが殺到すると思います。

 でもね、このまことに頼りない大石先生に向かって、子どもたちが全身を委ねるようにぶつかってくる。それを大石先生も必死で受け止めようとする。受け止められないんですけど、とにかく受け止めようとはする。

 

 教師、という仕事にはおこがましさがついて回る。

 「今日からわたしがみなさんの先生です」と4月の始業式で自己紹介する時点で、凄まじくおこがましい。教師なんだから当たり前かもしれません。、でもね、先生は自分が行う「人を教える」という行為が「おこがましい」ということを、心のどこかに忘れずにもっていてもらいたいわけです。

 「上手に教えてあげよう」「短所を矯正してあげよう」という上から目線の先生より、子どもの現実を受け止めようとする先生、そして、受け止められずにおろおろする先生の方がわたしは好きです。二十四の瞳の大石先生には、そのおこがましさが微塵も感じられない。それは、時代とは何の関係もない。

 大石先生は、子どもと泣いてくれる。子どもと一緒に怒ってくれる。好き。いい先生。