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映画『大脱走』でスティーヴマックイーンが生き残ったわけ。

大脱走を久しぶりに見たぞ。 

 映画『大脱走』を20年ぶりに見ました。ドイツ軍の実話を脚色した映画ですが、とことんおもしろい。これ、たまらん。どうしてテレビでやらないんだろう。ハリーポッターのように、毎年テレビでやれ! 

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 初めて見た時もでしたが、トンネル掘りのチャールズブロンソンや、盲目の友人を一緒に飛行機に乗せて逃げるジェームズガーナーのひたむきな姿には、今でも涙が溢れ出て( ;∀;)。

 

 それと同じく、今回見ても不思議に思ったことがあります。それは「スティーヴ・マックイーンが生き残ったのはなぜか」という問題です。大勢の捕虜が銃殺されるのに、あれだけ派手に暴れまくったマックイーンが殺されず収容所に戻る。それはなぜか。

ルールに乗っ取って戦争してる彼ら。 

 この問題の前に、この頃の彼ら兵士(捕虜)の戦争のルールについて確認してみましょう。映画の冒頭シーン、ドイツ軍のルーガー大佐と捕虜でイギリス空軍のラムゼイ大佐の間でこんなやりとりがあります。

 ルーガー大佐の

おとなしく終戦までは快適な捕虜生活を楽しみたまえ。

という忠告に、ラムゼイ大佐は、

かなう限り脱走を企てて、できるだけ多くの敵兵を捕虜の監視と追跡のために割かせて、前線に配備する戦力を幻殺せしめることこそ軍人の本務である。

ときっぱりと拒絶します。それを「まあ、そう言うだろうねえ」という感じで受け流すルーガー大佐。

 脱走計画の起案と実行そのものは、捕まった捕虜の正規のお仕事なのだということが、当たり前のルールとして周知?されているのです。

 「脱走したら殺しますよ」はルール違反らしい。麻雀やってて負けたからと言って、相手にラーメンぶっかけたり刺殺したりすることはいかん、というのと同じくらいルール違反らしい。ラーメンぶっかけられた人間にしてみたら「おい、それはないだろ」ということになるでしょ。それと同じ。

 実際には、この映画では、フェンスのところで何人も射殺されているシーンが出てきますが、基本はダメらしいです。ウィーン条約に定められています。

 で、スティーヴ・マックイーンがスイス国境の鉄条網で射殺されなかったのは、バイクから起き上がってすぐに、シャツの襟の記章を示したから、なのだそう。その記章はアメリカ軍の記章であり、これを掲げることで、自分の生命がウィーン条約で保護されることを知っていた、ということらしい。

 では、他の脱走捕虜がどうして集団射殺されたのか。それは、彼らが偽造パスポートを所持し、軍服を脱ぎ、記章を捨て、民間人に変装していたから、ということのよう。スパイ容疑で逮捕、銃殺ということ。

 ただね、これもやはりやりすぎで、この集団銃殺の報告を受けたドイツ軍のルーガー大佐は、捕虜のラムゼイ大佐より落ち込んでますから。それは反則だろ、と。

何度でも負けられる余力をもつ人間の強さ 

 ヨーロッパの兵士は、現に殺し合いをしながら、それでも記章を見せれば助かる「ちょっとタンマ」ルールを採用していたのかあ、と感心しました。

 もう一つ、戦地で負けて捕虜になってしまっても、それが最終的な敗北ではない、というところが深いな、と。兵士たちが捕虜になるのは作戦上の偶発的な出来事によるもので、捕虜になったことを特段恥じる必要もありません。実際、この映画の収容所の捕虜は捕まったことを一切恥じてません。「次は敵国内で一暴れしてやるぜ」という前向きな姿勢。

 勝つのもかっこいいですが、何度でも負けることができる余力を備えた感じがいい。絶対負けられないという追い詰められた状況はやはり褒められたものではない。戦時中ですらそう。今の社会に生きるわたしたちは絶対にそう。「何度でも負けられる余力をもつ」これ大事。

 

ちなみに、日本兵の姿。 

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捕虜の扱いがおかしいだろ、と改めて思う「シベリア抑留」を描いた不毛地帯。 

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