『フェルマーの最終定理』という数学の話を読みました。積ん読どころか積まれていることすら忘れてました。「慶応大の院生が新しい三角形の定理を証明した」という記事を新聞で読み、その記事の中にこの『フェルマーの最終定理』が出てきたので、確かあったはず!と探しました。
ちなみに、慶応大の三角形の記事はこちら。
で、『フェルマーの最終定理』です。すごく面白く読めました。「今ならもしかしたら微積とかいけるかも」と勘違いしそうなほど、数学の世界を覗くことができました。
この『フェルマーの最終定理』、実にドラマティックかつスリリングです。数の世界がいかに美しく精巧なものか、その謎を解くために、いかに多くの人が一生を捧げて悔いはないと思っているかが感じられ、胸を打たれました。
自分が決して経験できないことに対しても「こういう気持ちだろうな」と想像をめぐらせられるのが、読書の醍醐味です。数学者の頭の中なんて想像しようとすら思わなかったけれど、彼らが何を喜びに、何を目指して生きようとするのかが、この本からは確実に伝わってきました。門外漢の心を揺さぶり、その脳によくわからないながらも何かの像を浮かび上がらすことができる、文章表現のひとつの勝利の形がこの本にはあります。
ただ、わたしの頭の中の像がぼやけててよく見えない。数学者ワイルズがフェルマーの最終定理をどのように証明してみせたのか、実はよく分かりませんでした。巻末にがっつりと補遺もついています。その補遺をもってしても、証明の具体的内容について、わたしは推測することすらかないません。わたしごときが推測できる程度のことなら、「フェルマーの最終定理」が350年も証明されなかったはずがありませんから、当然のことかな。
ワイルズの証明はさっぱりわかりませんが、ワイルズがいかに全身全霊をかけて証明に取り組んだか、家族や友人がいかにそれを支え、応援したか、これまで数学に身を捧げた研究者たちの積み重ねがいかに実を結んだか。それはわかりましたよ。
フェルマーがついに最終定理を証明した瞬間の感動が、意味はさっぱり分からないのに伝わってきて、じんわりと感動しました。
あと、補遺を読んでいても情けなさに泣きそうになりました。直角三角形の面積は「1/2xy(にぶんのいちえっくすわい)」で求められるのですが、「どうして1/2xyなんだろう。これについて証明はなされているのか?」と本気で考えました。「あ、そうか」と気づいたときには、情けなさで視界も曇ろうってもんです。
数学の神は、わたしの前ではほほえみません。つねに仏頂面どころか尻を向けています。
実は、この本を読んで数学にかぶれたわたしが次に手にした本が『ホーキング宇宙を語る』です。うーん。ちっともわからない。