今回は、引用ばかりの記事です。
松ちゃんのワイドナショーでの発言について
リアルタイムで見てた時から気にはなってました。数時間後からネットがざわついてます。知らない人もいるかと思いますので、簡単に引用します。
なかなか亡くなった人を責めづらい、責められないよね。でも、そうなんやけど、ついついかばってしまいがちなんだけど、ぼくはやっぱり死んだら負けやっていうことをもっとみんなが言わないと、死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです。
昔からある「自殺したら負け」の考え方
こういう考え方、昔からあるようです。わたしの大好きな作家、吉村昭のエッセイに「自殺」について語った文章があります。こんな感じです。『お医者さん・患者さん』より。
私は、自殺を一度も考えたことのない人間をむしろ異常だと思う。生きている間には、すべてを放棄したいような苦しみに突き当たることがあるし、いっそ自殺しようと考えることもあるはずだ。
このあと、吉村さんは自分が自殺を考え悩んだことにふれ、でも、思いとどまった理由をこう書いています。
私は、弱者と思われたくなかった。自殺という大きな賭にふみきりながら、弱き者と蔑まれたくはなかった。私の虚栄心が許さなかった。苦しみに堪えながら自然死の訪れるまで生き続けてやれ、と思った。
正直、このエッセイを読んでがっかりしたんですよ。吉村昭のほとんどの作品を読み、その作品に感覚を領されてきたわたしにとって、まさに憧れの人物である吉村さんの「弱者と思われたくなかった」という部分に。吉村さん自身が、自分の自殺を乗り越える手段としての信条で「そう思った」と納得はしましたが、吉村作品の登場人物の中に自殺者がいたとしたら、吉村さんは「弱い」「弱者」という位置づけでそう描いたのか、と。記録文学者ですから、たとえ史実がそうだったとしても、吉村さん自身が、自殺のニュースを聞けば、彼らのことを「弱者」ととらえたでしょう。
でも、違うんだよ。自殺をする人は勝ち負けや強い弱いなんて考えない。
松本さんに対する反論ツイッターがたくさん上がっています。わたしが一番共感したのは、このツイート。
「死んだら負け」という言葉を聞いて「負けたくないから死なないぞ」と思うような精神状況の人は、そもそも死を選ばないでしょう。勝ちとか負けとか考えられなくなるくらいに追い込まれて死を選択してしまう人(の遺族)にとっては、死者に鞭打つ言葉に聞こえてしまうのではないかと危惧します。
佐々木亮さんという弁護士の方の意見ですが、まさにそう。負けやぞ、弱いって思われるぞ、なんて言葉で引き返せる人は、自殺しない。
「死んだら負けだぞ」「弱いって言われるぞ」じゃあない。話を聞いてやれ。その重い口を開かせてやるのだよ。
そうそう。わたしは松ちゃんも吉村昭も大好きです。人間と意見は別。そういうもんです。
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