昔の日本には、奇妙な風習がたくさんありました。今日は、その中でも薩摩に伝わる「肝練り(きもねり)」と「ひえもんとり」について紹介します。出典は司馬遼太郎の作品から。
肝練り(きもねり)とは
薩摩にはそういう無茶な鉄砲があるらしい。
みなで輪になってすわり、鉄砲を天井から天秤のように水平に吊り下げて、火縄をつけ、火縄の火が燃えすすめば火蓋に点火して轟発するように仕掛けておく。
その上で鉄砲を、ぶーんと回転させるのである。ぐるぐるまわるうちに、やがて火がついて、ぐわあんと弾がとびだす。だれかが死ぬ、いや死なぬともかぎらない。司馬遼太郎『薩摩浄福寺党』p13
この「肝練り」、広辞苑には載ってませんでした。絵にするとこんな感じです。出典は、「薩南示現流」より。
みんなで酒を飲むとこの「肝練り」が始まる。
「逃げてはならん」「死ぬ者は運が悪い」「弾に当たる者がいても痛いと言っちゃいかん」「見る者も悲しんではならん」「ああ肝練りじゃ」「戦場で臆しない肝練りじゃ」「ああよか酒じゃ」って。んなアホな。
この肝練り、司馬の創作ではないか、という声もありますが、出典があるようです。ただ、火縄銃の構造上、このような発射が可能かどうか怪しく実際に行われたかどうかについては諸説あります。
先にあげた司馬遼太郎の『薩摩浄福寺党』では、主人公の肝付又助(きもつきまたすけ)は、この肝練りを一人でやってるんですよ。まさにチェスト関ケ原。
ひえもんとりとは
「ひえもんとり」についても、少し長くなりますが引用します。もちろん司馬遼太郎より。
(薩摩藩の郷中制度には)肝だめしはある。自分の肝だめしどころか、他人の肝までとる。刑場で打首の刑があるときけば競って刀で腹を割いて肝をとるのである。その肝を蔭干しにして薬にするとも言い、あるいは単に度胸の競いあいだけだともいい、あるいはそれをその場で食ってしまうという凄い事例もあったらしい。南方の原住民は、敵の勇者の肉を食う。薩摩ではこれを「ひえもんとり」というが、あるいは遠い時代の食人の風の名残りかもしれない。司馬遼太郎『司馬遼太郎が考えたこと 9』p96
こわいよお。これ以外で聞いたことがあるのは、敵味方に分かれた場に死刑囚を放ち、その死刑囚の肝臓をとったものが勝ちという恐ろしいモノです。死刑囚も生き残れば無罪になるとか。イラストにするとこんな感じ。
この絵では、馬に死体をくくりつけ、さらに武具を身に付けています。諸説ありますが、わたしが以前読んだ本では、(ゲームなので)相手を傷つけないように武器をもってはならず、死刑囚の肝臓をとるためには歯で食いちぎるしかない、とありました。男塾に出てきそうな話ですね。
ちなみに「ひえもんとり」も広辞苑に載ってませんでした。 www.yama-mikasa.com