読書生活 

本もときどき読みます

「人間にとって教養とはなにか」を読んで教養とは何かを考えた

「人間にとって教養とはなにか」という新書を読みました。橋爪大三郎という大学の先生が書いた本です。

 

橋爪さんは、この本で、

教養とは「これまで人間が考えてきたことのすべて」

と、言っています。そして、教養を身につけるために「本を読め」、しかも「古典を読め」と言います。詳しい内容は、アマゾンを見てください。毎回こう書くと、お前本当に読んでいるのか、とお叱りを受けそうですが、読んでます。

 

教養、と聞いて思い出すのは、20年前に出会った上司です。名前をAとします。

 

Aさんは、どのような状況に置かれても「たいしたことじゃないよ」と声をかけ、テンパることなくチームを立て直しました。わたしはAさんの「たいしたことじゃないよ」という声に何度も救われたものです。

 

困難な状況に陥った場合の対処法は人それぞれですが、たいていの人は、自分の引き出しからその状況に適したストックを取り出して事にあたる、という方法をとります。そういう仕事術を否定するつもりはありませんし、正解だとは思います。そのストックの量が経験と言えるのかもしれません。

 

しかし、わたしの尊敬するAさんはそうではありませんでした。Aさんは様々な視点で物事をとらえ、解決の道筋を模索し、その方面に造詣が深い他者と協働して対処します。自力解決に全くこだわらない態度を、「他人任せ」と批判する人もいましたが、わたしにはその批判がちっとも理解できませんでした。知識や経験といったストックではなく、見方や考え方を多様にもつAさんを心底尊敬すると同時に、自分との実力差に呆然としたものです。

 

今、振り返って思うに、Aさんが持っていた多様な見方や考え方こそ「教養」と言えるものだと思います。

 

Aさんのもつ教養とは、繰り返しますが知識ではありません。昔の科挙のようにどれだけ書物を暗記しても、今ではクイズ番組で自慢できるだけです。Aさんがどのようにそのような教養を身につけたのかは分かりません。ただ、Aさんは凄まじい読書家でした。

 

歴史、文学、哲学などが常に彼の手元にありました。歴史を学べば、自分が置かれている状況が人間の経験してきた状況の中の一つに過ぎないこと、自分がしがみついている価値観が特殊なものに過ぎないことを知ることになります。文学を学んで、人間が置かれる状況や行動や価値観の可能性を知れば、今の状況や行動や価値観が特別ではないことが分かります。哲学を学べば、自分の学習や研究についても「大したことではない」と考えることができるようになるはずです。と、偉そうに書いていますが、当時の自分は分かってませんでしたし、Aさんに聞いたら全く違う!と怒られるかもしれません。

 

これが教養の正体ではないでしょうか。欧米で教養が尊重されるのは、ものの見方が幅広く柔軟で、どんな状況にも対応できる人間を尊敬するからだと思います。欧米に行ったことはありませんが。

 

わたしもAさんに近い年になり、あの頃のAさんのように、ミスって落ち込んでる人間にはいつも「たいしたことじゃないよ」と励ましてきたのですが、周囲には、わたしが「たいしたことのない」人間だと思われただけのようでした。ここに教育の難しさがあります。たいしたことにこだわらず、なおかつ自分のスタイル的なものをもたないと、他者から尊敬されることは難しいようです。

 

わたしがそうだったように、本を読むことで必ず教養を身に付けることができるとは限りませんが、教養を身に付けている人間はすべからく読書をしています。これだけは確か。鴨川会長のセリフは転用が聞いて便利です。

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