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寒さが背中へかじりついた

夏目漱石「こころ」の一節

寒さを表す表現に、

寒さが背中へ噛(かじ)り付(つ)いた

というものがあります。

出典は、夏目漱石の「こころ」です。

「寒さが背中へ噛り付く(かじりつく)」という文言だけ読むと、強烈な寒気が体全体を包み込むというような印象を受けます。

しかし、ここでの漱石の使い方は少し違います。その前後を含め、引用します。

 二人はそれきり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が薄暗い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ囓り付いたやうな心持ちがしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、又向ふの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私は其頃になって、漸やく外套の下に体の温味を感じ出した位です。

冬に間違いありませんが、

割合に風のない暖かな日でしたけれども、  

とあります。よって、冬の中ではそれほど寒くない、少なくとも極寒とは言えないことが分かります。

 

では、どうして、「寒さが背中へ囓り付」いたのでしょうか。

 

あらすじと関係しています。

Kから恋の相談を受けた先生は、返事に困ります。Kの恋の相手が、先生自身も好きな女性だったからです。その女性もあながちKに悪い気はないことが日頃の言動から見て取れます。「このままでは彼女が取られてしまう」そう考えた先生は、Kを公園に連れ出し、その恋が成就しないようにKを厳しく罵ります。その後、下宿先に戻る道の描写です。

 

「先生」が感じた寒さとは、身体的な寒さだけではなく、先生のKに対する後ろめたさを表現している、というのが一般的な解釈です。

 

「こころ」には、なかなかユニークな表現が他にもあります。

先生の過去について何度も質問する「わたし」の態度に対して、

私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとした

慣れ親しんだ男女の間には恋は成立しない、という例えとして、

始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚きだした瞬間に限る如く、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、恋の衝動にもこういう鋭い一点が時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気で其所を通り抜けたら、馴れればなれる程、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺してくるだけです。

 そのほか、季節の表現も多い。

「こころ」のあらすじを知りたい方は、このページをどうぞ。 

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