読書生活 

本もときどき読みます

人と比較するという呪縛

 僕は足が遅い。小学生の頃、運動会を回避するために、その数日前に彼岸花の汁を両腕に塗りたくったことがある(汁の毒は効かず、運動会当日もピンピンしており、当然ながら出場しこれまた当然のように、恥をかいた)。

 大人になってから、人間ドックでメタボと言われ、痩せるためにウォーキングを始めた。昔からせっかちな性格で、軽くジョギングし出したところ、少しずつ長い距離を走れるようになってきた。車で距離を測り5㎞のコースを設定し、週に2〜3日は走るようになった。その頃には、走ることが楽しくなった。ランニング雑誌を買い、地域のマラソン大会にお金を払ってエントリーし、シューズにチップをつけて走り、記録を測ってもらったりもした。お金を貰っても走りたくなかった僕が、いつの間にか、お金を払って走るようになっていた。

 本屋でセンター試験の過去問を手にした。司馬遼太郎や吉村昭をがっつり読んでいるから、センター日本史くらいちょろいだろうと思ったら、ちっともできなかった。日本史の参考書を1ヶ月読んだあと、懲りずにセンター過去問を買い、真剣に解いてみたら40点だった。数冊参考書を買い足し、赤いシートを使いながら一問一答集で語句を覚え、わかりづらいところは単語帳やノートにまとめたりした。勉強して3ヶ月たった今月初め、別の年のセンター過去問をやったら60点だった。20点上がって嬉しかったし、何より日本史の流れが少し分かってきたことも喜びだった。

 3ヶ月勉強して60点ってバカだと思うだろうか。そこらの大河オヤジの方が点数取れるかもしれないし、走力に至っては、もう長いこと走ってないので、並以下だと思う。また、本業とかけ離れた生産性のないことに、嬉々として取り組むなんておかしいと笑う人もいるだろう。

 けれど人から比較されず、「高み」を示されて自分のレベルの低さに愕然とさせられることもなく、昨日より今日、少しずつできることが増えていくことが楽しかった。好きでさえあれば、他の人から見れば下手かもしれないけど、「できた!」を楽しめることを知った。

 それでいいじゃないかと思う。なぜ、他の人間と比較する必要があるのだろう?なぜ、生産性を持ち込む必要があるのだろう。蛇に「お前、足ないなあ!」と罵る人がいるだろうか?草野球をやってる人に、「そのバッティングじゃ、プロでやってけないぞ」と嘲笑うだろうか。蛇は蛇でいいじゃないか。プロになれなきゃ野球をやる資格はないのか?好きでやってるんだから、ほっといて。もっと上手い人がいる?ふーん。それがどうした?人と比較して楽しみに水差して、何が嬉しい?
 僕は、人生を味わいたい。僕に少しでも敬意を払ってくれる人と、やりたいことをする。他人と比べることなく、自分が楽しいと思うことを。こう書けば書くほど、人と比べるという呪縛に囚われていることに気付く。それもひっくるめ、人と比べない。