読書生活 

本もときどき読みます

コンプライアンス

 硫酸をかけて逃げた男が逮捕されたというニュースを見た。ずいぶん前から世界中で使われている硫酸。僕は見たことないけれど、どこでみなさん手に入れているんだろう。この硫酸を扱った僕の知ってる本と言えば、江戸川乱歩の「石榴」。この作品では硫酸を顔にかけられたのではなく、硫酸を飲まされたようで、顔がはじけた柘榴のようになる。

 硫酸を使ったミステリーについて書こうと思って読み返したのだが、僕が今回気になったのは、作品内の描写である。こんな感じ。

琴野氏にとって、万右衛門さんは憎んでも憎み足りない恋敵です。その恋敵の顔を癩病やみのように醜くしてやるというのは、実に絶好の復讐といわねばなりません。恋人を奪った男が、片輪者同然になって生涯悶え苦しむのみか、女のほうでは、つまり絹代さんのほうでは、その醜い片輪者を末永く夫としてかしずいて行かねばならぬという、一挙にして二重の効果をおさめるわけですからね。

 今、これを書いたとしたら絶対に通らない。

「癩病やみのように醜く」や「片輪者」は確実にアウトだし、男女平等の立場からすると「夫としてかしずいて」も厳しいと思う。江戸川乱歩が聞いたらなんと言うだろう。僕が変わりに怒られてもいい。氏は後輩の育成に熱心だったと聞いたことがある。僕もいろいろご教授願いたい。

 1934年に書いたとあるので、今から90年前だ。そうか、90年前だったらこれがOKだったんだ。

 100年後、今の作家の表現はどのように読まれるのだろう。ここ数年で倫理観はずいぶん変化してきている。現時点では、どのようなジャンルの小説でも、障害者や病人を揶揄することは許されない。また、反社の人間を登場させたり、不倫をしたり、奥さんに毎日家事をさせたりすることも、読者を納得させる説明が必要になる。

 ここ数年どころかこの数日でも言葉狩りの勢いが止まらない。100年後なんて想像できない。ただ、願うのは、漢字やひらがななど今のいわゆる日本語が使われていてほしい。100年後にも僕のような内向的なやつはいるだろう。今の星の数ほど出版されている本も時代に淘汰され、100年後にはその多くが絶版となっているだろう。どの作品が100年生き残るか楽しみだし、その作品が、100年後にも必ずいる僕のようなヤツのささやかな楽しみとなりますように。