正直な話、山崎豊子の華麗なる一族を読み終えた今、私の心には言いようのない疲労感と、それに勝る虚無感が募っている。いや、これは誤解なきよう、作品の素晴らしさを称える上での「疲労」であり、「虚無」である。阪神銀行頭取、万俵大介を巡る金融再編の嵐、そしてその渦中で翻弄される家族たちのドロドロとした愛憎劇。これを読み進めるたびに、私の矮小な日常がどれほど平穏で、そしていかに「華麗」とはほど遠いかを思い知らされるのだから。
我が家の経済と言えば、「チュールは週3から週1にする」案が愛猫2匹との間で成立し、夏のボーナスで「ひさびさに文庫じゃなくて、ハードカバーを買ってもよい」案が自分の中で可決されたばかり。そんな私が、総資産額がどうとか、融資額がどうとか、ましてや政財界のトップがどうとか、スケールのデカさに目眩がする。
登場人物も個性が際立っている。まず、頭取の万俵大介。彼が持つ、あの圧倒的な器量の大きさ。金融再編という荒波の中、冷徹なまでの判断力と、時には情を捨ててでも目的を達成しようとする意志の強さ。人間としてのスケールの大きさにただただ圧倒される。自分の家族すらも駒のように動かし、日本の金融界を股にかける。私など、職場の部署異動があっただけで、胃がキリキリする小心者だ。ましてや、自分の会社の存続をかけた戦いなど、想像もできない。彼の器量の100分の1でもあれば、私の人生ももう少し華麗になっていたのかもしれない。
そして、大介の長男、万俵鉄平。彼もまた、私にとっては遠い存在だ。高学歴(東大からMIT)でしかも情熱的。自らの理想を追い求め、親の意向に逆らってまでも高炉の建設に邁進する熱さ。彼のような高学歴も情熱も私にはない。つつがなく余生を送れたらそれでいい、そんな小さな夢しか持てない自分に、なんとも言えない悲哀が込み上げてくる。
ただ、唯一勝ったと思ったのは、女性関係である。大介の愛人の高須相子と正妻の万俵寧子との関係性に、多くの男性読者は筆舌に尽くし難い羨望を覚えるだろう。しかし、私の妻の魅力には到底及ばない。「MYST」や「Riven」などの私には全く理解できない謎解きゲームにハマり(私の周りで妻以外にこのゲームをやっている人はいない、どころか、このゲームに関する話題を聞いたことが一度もないのだが、妻に言わせると大抵の地球人が一度は通る通過儀礼的なゲームとのこと。このゲームを知っている人がいたら連絡ください。)、夜な夜な「ヒューマンバク大学」という動画を見ている(この動画も妻に言わせると日本人の大半が見ているというから、この前見たら、主人公が象の💩食べてた。この動画を知っているという人がいたら、同様に連絡ください。)。妻の魅力があまり伝わらないかもしれないけれど、私は彼女がいて、幸せである。
山崎豊子さんの描く世界は、あまりに強烈で、私のような凡人には眩しすぎる。彼らの「華麗なる一族」としての光と影、そのすべてが、私のちっぽけな日常に容赦なく突き刺さる。読み終えたあと、インスタントコーヒーを片手にTVをつけ、大谷君の活躍に一喜一憂する。ああ、これが私の「華麗ならざる日常」なのだ、と。でも、この生活も案外悪くない。