読書生活 

本もときどき読みます

ブログを書くために本を読むっておかしくない?

 2019.3.08から、1年半ブログを更新しませんでした。理由は、読書が楽しめなくなったからです。読書が先、ブログが後、だったのに、アクセス数やら、更新回数を気にし始めると、だんだん、ブログを書くために本を読むようになっていたんです。ブログを書くために本を読む、この在り方を否定するつもりはありませんが、自分のスタイルではない、という、ただそれだけのことです。自分のスタイルは、同じ本を何度も何度も読む。家には何千冊と本があるので、(別にいばるほどのことではない。わたしの知り合いには、書斎ではなく、書庫を持ってる強者もいる)、新しい本はほとんど買いません。次読む本は、本棚に並んでる内容をほとんど忘れている本。もちろん、最近話題の本などなく、下手すれば昭和に発行された本もたくさんあります。

 そんな本の書評を書いたところで、アクセス数も伸びるはずなし。そこで、新聞の書評欄にざっと目を通し、自分の好みと合いそうなものを選んで、Amazonで買い、書評を書くために読む。アウトプットのために読むことで脳が活性化される、なんてどこかで読んだことがありますが、それは意識高い勉強家の読書術であって、わたしのスタイルではありません。だったら、自分の好きな本の書評を書けばいいじゃないか、と言われそうですが、もう、その手の本は全て書いたのです。新しい本だって読みますよ(立ち読みで)。だけど、書評を書きたい、と思わせてくれる本なんて、そうそう出会えないのです。

 ということで、ブログのために本を読む自分に嫌気がさして、読書はするけど、ブログはやめました。ある日、突然プッツリと。この8月に、1年半ぶりに書いたブログは、自分の身近にあった頭をガツンと揺さぶられるようなことがあり、急に稲妻に打たれたようにブログを書いたわけです。

 復活後、書きたいこと、思ったことをただただ書いています。筆者ファースト。読み手が何を読みたがっているか、タイトルに、検索ワードを盛り込め、できれば、2から3個入れろ、なんてクソくらえです。書きたいことを書く。雑記がふえるので、読書生活というブログタイトルは変えようか、とも思いましたが、やめました。時にある、ブログに書きたいと思わせてくれるような本との出会いに期待して。

 今は昭和45年に出版された、吉村昭の名作「蚤と爆弾」を読んでます。おもしろい。日本軍の細菌部隊を扱った作品です。数万匹のネズミをパンパンに太らせて、ペスト菌に感染させたあと、蚤に血を吸わせる。数万匹のネズミに数億匹の蚤、ペスト蚤を如何に効率よく人間に寄生させるか…。こんな本です。ね、これ、アクセス数、期待できないでしょ。でも、こういう本を読んでるんです。書評も書きますよ。こういう本の書評が書きたいから。