読書生活 

本もときどき読みます

おじいちゃん先生

 女子も含めて、クラスで一番背が低く、足も遅かった。好き嫌いが多く毎日忘れ物をしたので、担任の先生にはいつも怒られた。クラスメイトはそんな自分を冷ややかな目で見ていた。「学校はつまらないところだ」低学年でそれを学んだ。昼休みは図書室にいた。休み時間のクラス遊びに参加したことなど数えるくらいしかなかったが、幸運なことに、吊し上げられることはなかった。クラスの誰も自分がそこにいなくてもかまわないと思っていたのか、もしくは参加していないことに気付いていなかったのかもしれない。

 5年生になり、若い女の先生が担任となった。優しくしてくれるかもしれない、自分のことを気にかけてくれるかもしれない、若い女の先生だから期待するじゃないですか。その先生は、今までの担任以上に私のことを叱った。特に、私の忘れ物癖が彼女のカンに触ったようで、毎日毎日怒られた。ある時、彼女は私を立たせて、「どうして毎日毎日忘れ物するんだ。昨日の夜から何をしていたのか、言ってみろ。そして、忘れ物をする理由を考えろ」と言った。忘れ物をする理由が言えるくらいなら忘れ物などしない、そう思ったが、怖くて言えず、小さい声で「分かりません」と言った。私は、逆上した彼女に1時間後ろの黒板の前で立たされた。私は、1時間悔しくて泣きながら先生を睨み続けた。私はもっともっと学校が嫌いになった。

 しばらくして、その先生に赤ちゃんができ、休むこととなった。かわりの先生は、70を越えたおじいちゃんだった。おじいちゃん先生は毎朝キーコキーコと音のなる自転車で学校に来た。雨がふったらカッパを着て、キーコキーコと自転車に乗って。みんなはその先生をおじいちゃんと呼んだ。私は怒られたくないので、おじいちゃん先生と呼んだ。

 おじいちゃん先生が担任して3日くらいたった頃、おじいちゃん先生は、みんなの前で私に向かってこう言った。「yama(私です)は本ばかり読むなあ。よし、次の算数はやめだ。yamaの時間にする。お前は今まで読んだ中で1番おもしろい本をみんなに紹介しろ」どうせ、私の話なんて誰も聞いてくれない、そう思ってみんなの顔を見たら、みんな喜んでいた。算数が嫌いだったようだ。

 次の時間、私は喋った。みんなは私の話を楽しそうに聞いてくれた。おじいちゃん先生は泣きながら笑っていた。私は初めて学校で楽しさを味わった。私の話が終わると、おじいちゃん先生はみんなの前でこう言った。「yamaは、もう好き嫌いしていい。嫌いなものは先生が食べてやる。忘れ物してもいい。先生が貸してやる。そのかわり、おまえは本を読め。そして、おもしろい本があったら、さっきみたいにみんなや先生に話してくれ」。みんなもそうだそうだという。

 次の日、給食にナスの炒め物が出た。私は嫌いなナスをいつものように皿の端によけていた。そうしたらタンタンタンと足音がしておじいちゃん先生が私のところにやってきた。怒られる!と思って身構えたら、おじいちゃん先生は私がよけたナスの皿を手に取り、そのナスを食べ始めた。びっくりした私は、おじいちゃん先生から皿を取って、ナスを口の中に全部入れた。

 筆箱を忘れたら、鉛筆、消しゴム、赤鉛筆をかしてくれた。私はおじいちゃん先生が大好きだったから、おじいちゃん先生に嫌われないように、迷惑をかけないように、嫌いなものも食べようとしたし、忘れ物もしないようにした。おじいちゃん先生が来てから、友達が少しずつ増えていった。卒業する頃には、たくさんの友達に囲まれていた。校門で最後におじいちゃん先生とみんなで写真を撮った。その写真は40年近く経った今でも大切に取ってある。

 私たちが小学校を卒業した5年後、おじいちゃん先生は病気で亡くなった。おじいちゃん先生のおかげでできたたくさんの友達と、今でも時々墓まいりに行く。言うことはいつも同じ。

 天国へ行ってください。先生、僕は今でも本を読んでいます。先生、ありがとう。