鶏鳴狗盗
鶏鳴狗盗という言葉があります。「馬鹿げているように見える特技も、どこかで役に立つかもしれないよ」という意味です。
余人を持って代えがたい異能
誰もが持っている才能(持っていた方が有利な知識や技能)は、みんなが持っているために、安く叩き売られてしまう。だから「余人を持って代えがたい異能」に目を向けましょう、という記事を書きました。
他人との比較で疲れてる自分に、「おまえにはおまえにしかできないことがあるじゃないか」(その記事で取り上げたわたしの技能は、直径30センチの泥団子を作れるという、それこそ馬鹿げたものなのですが)と言ってあげるという、慰め記事です。
よく考えると、これ、おかしい話なんです。他人と比べられることに疲れたわたしが、他人と比べるな、と言うために「他人の持ってない能力に目を向けよう」と言ってます。他人の持ってない能力を探す行為が、すでに他人と比較する行為になってます。
自分にしかない能力などない 『噛みきれない想い』鷲田清一
元大阪大学学長で、哲学者の鷲田清一さんは、著書『噛みきれない想い』でこう言ってます。
多くの人は、自分だけが持っていて他人にはないような能力だとか素質を必死になって探す。けれども、他の人にはなくて自分にしかないものというのは、そうそうたやすく見いだせるものではない。どんな能力を持っていても、どんな素質に恵まれていても、さらにはどんな資格を持っていても、それらは自分だけが持ちうるものではなく、別の誰かも持ちうるもの、持っているはずのものだからだ。
それに特性は、なくす怖れがある。歳をとれば、そういう特性の多くは次第に自分の中から脱落してゆく。
ふむふむ、なるほど。直径30センチの泥団子を作れる人は、探せばきっとどこかにいます。しょせん、小集団の中での異能であって、厳密には「余人を持って代えがたい異能」とは言えません。続けます。
もし一週間、職場や学校を休んで、そのあとオフィスや教室に復帰したときに、誰からも何も訊ねられなかったら、人は自分がここにいなくてもいい存在なのだと、深く傷つくだろう。誰かが「どうしていたの?」と訊ねてくれれば、人は自分がここにいることにはそれなりの意味があるのだと、自分の存在に少しは自信を持つだろう。他者にとって、自分が何か意味のある存在であることを身に沁みて知っていること、それがおそらくは人が己の存在にプライドを感じうるための条件である。その意味で、プライドは、他者による是認や他者からの注視によってこの私に贈られるものなのだ。
あなたはあなたのままでいい
「あなたはあなたのままでいい」多くの語録本にある言葉ですが、わたしにはピンときませんでした。鷲田さんのこの文を読み、そのわけがわかったような気がします。わたしのことを何も知らない著者に「あなたはあなたのままでいい」なんて言われても、ねえ。「あなた、わたしのこと何も知らないでしょ」となります。また、自分で「わたしはわたしのままでいい」と思えるほど能天気でもありません。
この言葉は、わたしのことをよく知ってる身近な人に言ってもらって、はじめて強い意味を持つ言葉なんですね。
家族や先生にこう言ってもらうと嬉しいでしょう。わたし、言ってきたかなあ。言われることばかり期待してたかもしれない。家族に言ってみようかな。職場で言ってみようかな。