読書生活 

本もときどき読みます

「あいつは死ぬだろう」と言われたい。

 小田急線車内で、男が女性を切りつけた事件が先日あった。車内の緊迫した動画もテレビで見た。

 数年前、東海道新幹線の車内で斧?を振り回した男もいた。確かあの時は、助けようとした男性が殺されたと思う。小田原駅が大変なことになったのでよく覚えている。ネットでは、「助けられないで自分も死んだら犬死だ」と書いてあった。

 自分が同じ車両に乗り合わせていたらどうするか…。こういうニュースを聞くと、いつも考える。

 僕がその場にいて、止めたところで組み伏せて勝つ自信など微塵もない。勝つどころか、助けられず自分も死ぬパターンしか思い浮かばない。

 逃げるか、助けようとするか、正解などないし、背負っているものも人それぞれだから考え方も違うと思う。助けられそうなら助けるけど、無理そうなら逃げる、という考えが多そうだ。友達いないから聞いてないけど。

 ニュースでは、元警察官が「危ないから警察が来るまでは手を出さないで」と言っていた。言い換えると、「被害は最小限に」ということか。小田急線の女性はさぞ怖かったと思う。そして、自分を残して逃げる人たちを見て、さぞ悲しかったと思う。

 前読んだHumankindでは、殆どの人間は仲間を助ける善良な市民だと書いてあった。本当かな?「被害は最小限に」なんて言われて「はいそうですか、そうですよね」と逃げる人間が善良な市民と言えるのかな?あの本には「ホモサピエンスは仲間には優しい」という前提があった。なるほど、僕たちは、見知らぬ人は見捨てがち、身内は助けがちということか。ちなみに数万年前は、身内の中で悲喜こもごも喜怒哀楽あっただろうけど、今より人口がはるかに少なかったため、「見知らぬ人」という存在は基本なかったらしい。知らない人と会う機会は滅多になかったみたい。

 中島敦に「弟子」という本がある。孔子の弟子、子路(しろ)の物語なのだが、この男がとにかく直情的で孔子に言わせたら思慮が浅はかなのだ。喧嘩では負け知らずの子路が孔子に向かって言う。お前は南山に生えている竹を知っているか。強く硬く槍にすればサイの皮も突き破る。俺も南山の竹のようなものだ。負けたことはないし、そもそも俺みたいな生まれもって強く賢い奴に学問など不要だ、逆に邪魔だ!と。孔子は言う。その南山の竹とやらにやじりをつけ、矢羽を付けたら、サイの皮を突き破る程度じゃすまないだろうに、と。

 子路はその言葉を聞き、即座に入門する。単純で曲がったことが大嫌いな子路は、その後もいろいろやらかすのだが、孔子は子路をとてもかわいがっていた。その子路が孔子のもう1人の弟子と、ある国を任されることになった。赴任したその国は政情が不安定で遂にクーデターが勃発。それを聞いた孔子は言う。「子路は死ぬだろう。もう1人は生きて帰ってくるだろうけど」と。

 孔子の言う通り、子路は王を守るために群衆と戦い、強烈で壮絶な最後を遂げる。うろ覚えだから細かいところは違うと思うので、気になる人は読んでほしい。もちろん、孔子のもう1人の弟子は、孔子の言う通り、理屈を並べて帰ってきた。

 

 新幹線の車内で襲われている人を助けるために死んだ人を、僕は犬死とは言わない。子路は絶対逃げない。僕も孔子に言われたい。「あいつは死ぬだろう」と。

 子路は死んだあと、切り刻まれて塩漬けにされた。それを聞いた孔子は家中の塩漬けを捨てて、二度と食べなかったという。僕が塩漬けにされることはないだろう。普通に葬式が執り行われるのかな?

 葬式の喪主は福と夏にお願いしたい。あの子たちが椅子に座っていられるか心配だ。少ないと思うけど、葬儀に来てくれた人に頭を下げてもらいたい。香典はちゅーるをお願いしたい。僕の墓には、妻と育てたひまわりの種を埋めてもらいたい。まだできないのだが。

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