同世代の父や母などの訃報連絡が届くようになってから久しい。親の介護問題などがよく話題に上がる。その度に、私は「まだ祖母が元気だよ」と答えていた。あなたの?と怪訝な顔をされる。うちの母も80才の立派なおばあちゃんだが、その母の母がまだ元気なのだ。米寿のお祝いの親戚小旅行では、孫も含め20人以上が集まった。「5人しか産んでないのに、こんなに増えちゃって」と嬉しそうに言いながら、ステージで踊っていた。小さい孫たちに取り囲まれ、おおいかぶさられていたおばあちゃんを救出するために1人ずつひっぺがした時は、孫に埋まりながら本当に幸せそうだった。「おばあちゃんが死んじゃうよ」と、孫たちに説教する大人を制して、「おじいちゃんが向こうにいるから、死んでも全然寂しくない。どうせなら、孫に埋もれて今死んじゃいたい。みんないるから葬式の手間も省ける」と、笑えない冗談を言っていたのが昨日のようだ。
そのおばあちゃんが死んだ。先々週、母から着信があったときに、ピンときた。老人からの電話は訃報が多い。おばあちゃんが死んだ、と母が言った。100を越えているのは確かだけど、一体いくつだったんだ。聞くと、大正9年生まれ、1920年生まれの103歳とのこと。私が今50だから、私が生まれた時、53歳だった計算になる。若く見えたが実年齢も若かったのだ。寝て、朝起こしに行ったら、息をしていなかったらしい。痛みも苦しみもなく、それこそ眠るように死んだとのこと。
職場には、休みを取ったが訃報連絡は入れないでほしいと頼んだ。香典を受け取りたくなかったからだ。喪主のおじ(私の母の弟)は全ての香典も花も断った。斎場が用意したのか、おばあちゃんは花に囲まれていたが、供花の類は一切なし。香典返しもなし。
100年生きたおばあちゃんは、きれいにしてもらっていたが、当たり前だがやはり死んでいた。骨上げのあと、火葬場の方が頭骨の部位を一つずつ説明してくれた。
おばあちゃんの葬儀後、職場に戻ると両肩が重い。おばあちゃんに抱きつかれているらしい、と職場で笑いを取った2日後、高熱を出した。悪寒だったようだ。
12月、クリスマスの頃、納骨がある。それで本当にさようならだ。人は案外すぐ死ぬ。会いたい人には今すぐ会いに行った方がいい。