ミステリー新人賞、受賞作なし
今年の江戸川乱歩賞が、46年ぶりに「受賞作なし」となったと聞きました。 朝日新聞2017年11月1日の記事です。
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記事によると、乱歩賞の他にも小説推理新人賞、横溝正史ミステリ大賞も「受賞作なし」だそうです。
作家を目指す人や応募数が減っているのでは?と思いましたが、違うようです。今年の乱歩賞の応募作は326本とのことです。この数は多少の増減はあれど毎年300本程度で推移しているので、応募作が減っているわけではなさそうです。
それどころか、ここ10年で新人賞の数は増えているし、どの賞も応募数は減っていないとのことです。
これは、過去に村上春樹さんもお話しされていました。 村上さんは、「審査員は難しい、自分の物差しでしか他者を測れないし、自分にできることではない」と言い、さらに「審査員のなり手がいないから、○○新人賞はなくなりました、なんて話は聞いたことがないし、逆に新人賞の数は増えているとも聞く」と続けています。まあ、「自分が引き受けなくても、なり手はごまんといる」と言ってるわけです。
ミステリー新人賞審査員の辛口コメント
新聞記事に戻ります。ここにある、審査員のコメントが手厳しい。
まず、池井戸潤さん。
「長い文章をストレス泣く読ませる技術はみんな持っているのですが、ミステリーとして読むと矛盾が多く、おもしろくないのです。新しさを感じない」
次に、湊かなえさん。
「誤字脱字が三百カ所以上あった」
恩田陸さん。
「展開やオチが最初にすべて予想できてしまう」
最後は、道尾秀介さん。
「何度も刃物で刺された人物が、その直後にわりと元気に動いていた」
作家をめざしていたわたし
実は、わたしも作家をめざしていたことがあります。仕事に嫌気がさして腐っていたわたしは、本屋にあった文芸誌を全部買って、とある新人賞にねらいを定めて書き始めました。ところが、なかなか書けない。1000字書いて、次の日半分消す(1日で500字)のはまだいい方で、ひどいときは1000字書いて、次の日2000字消す(2日でマイナス1000字)とか、1文字も書けないとか。結局数ヶ月かけてあらすじのようなものが書けました。「なんだこれは」と赤面するようなもので、とても応募できるレベルではありませんでした。こんな経験で、作家をめざしていたというのもおこがましいですね。
それ以来、読むことに専念しています。自分で書いてみたことで、作家さんがいかに才能溢れる方たちなのかをあらためて知りました。東野圭吾さんなど、どうしてこんな話を思いつくのだろうと。
「吉村昭さんみたいなドキュメンタリーなら書けるんじゃないか、だってこれ、もともとあった話でしょ」と思っていた時期もありました。当時のわたしを殴ってやりたいです。今はこれっぽっちも思ってないですよ。
作家になるのに必要なものとは何か
日本推理協会代表理事を務める「隠蔽捜査」シリーズなどで人気の作家、今野敏さんがこう言ってます。
売れっ子になるのは一握り。毎年すごい才能が出てくるはずがない。
新人賞の数が増えていることに対して、
作家になる手段はこれほど多くなくていい。
そして、
10年書き続けて受賞しなければきっとプロにはなれない。
ネットの公募新人賞のサロン場について、
2次まで進んだ、最終までいったというやりとりは全く意味がない。受賞作を研究し、励まし合っているのはいいが、傾向と対策が透けて見える作品はとたんに冷めてしまう。
最後に作家に必要なものを聞かれ、
常軌を逸した情熱
と答えています。ホントにその通り。「常軌を逸した情熱」です。吉村さんの作品は常軌を逸してます。