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『名人伝』 中島敦 短編小説の傑作

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『名人伝』 天才中島敦の傑作

 久しぶりに骨太な本に出会えて軽く興奮しています。『名人伝』の解説に「中島敦の小説は解説などなくても芸術として自立している」とありますが、同感です。33歳の若さで死んだ天才中島敦の最高傑作です。まだ読んでいないあなたがうらやましいです。

 あらすじです。

瞬きせざることを学べ 

 天下第一の弓の名人になろうと、名手飛衛に弟子入りした紀昌。飛衛に「瞬きせざることを学べ」と言われる。

 帰宅し妻の機織台の下に潜り込み、自分の眼とすれすれに足で踏む板が忙しく行き来するのを瞬かずに見つめようとした。嫌がる妻を𠮟りつけ、無理に機織を続けさせること2年。

 紀昌はとうとう瞬くことがなくなった。瞼は閉じなくなり、上下の睫毛の間に蜘蛛が巣をかけた。紀昌は飛衛のもとに戻った。

視ることを学べ 

 次に、飛衛は「視ることを学べ」と紀昌に言った。小さいものが大きく見えるようになったらまた来いと言う。

 帰宅した紀昌は虱を髪の毛に繋ぎ、窓にかけ、終日睨み暮らすことにした。3年たち、虱が馬ほどの大きさに見えるようになった。

 紀昌は外に出た。人は高い塔に、馬は山に見えた。家に戻り、窓にかかる馬のように大きく見える虱をよもぎで作った弓矢でうつと、矢は虱の心臓を貫いた。紀昌は再度飛衛のもとに戻った。

奥義秘伝を学ぶ 

 紀昌は飛衛から奥義秘伝を学んだ。紀昌は2カ月ですべての技をものにした。

 ここ引用します。

妻といさかいをした紀昌がこれを威そうと矢をつがえ妻の眼を射た。矢は妻の睫毛3本を射切って飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。

飛衛を殺そうとする 

 飛衛から教わることはもうない。飛衛を殺せば自分が天下一、そう考えた紀昌は野を歩く飛衛に矢を放つ。飛衛はその矢に反応し応戦した。すべての矢は宙であたりともに地に落ちた。

 飛衛は、紀昌に彼方の山に住む老師「甘蠅」の話をする。老師の技に比べれば、我々の射は児戯に類すると。

甘蠅老師との出会い 

 紀昌は1カ月かけ、山を登り甘蠅老師のところにたどり着いた。老師の前で、紀昌は空に1本の矢を放ち5羽の鳥を鮮やかに切って落とした。どんなものだ、と。

 老師は笑いながら紀昌を絶壁まで案内した。そして、紀昌に「もう一度さきほどの技を見せろ」と言う。今さらあとに引けない紀昌。矢を射ろうとしたが足元が揺れ、小石が遥か下に転がり落ちた。紀昌の脚は震えたまらず伏せた。

 老師は紀昌に手をかし、自らは紀昌がいた場所に立ち、「射というものを御目にかけよう」と紀昌に言った。断崖絶壁の揺れる足場。射を見せるというが、老師は弓矢すら持っていない!

「弓?弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には弓矢は要らぬ」

ちょうど彼らの真上、空の極めて高い所を1羽の鳶が悠々と輪を描いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿を暫く見上げていた老師は、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引き絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず空から石のごとくに落ちてくるではないか。紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。

下山後

 9年たち下山した時、人々は紀昌の顔つきの変化に驚いた。負けず嫌いで精悍な面は影をひそめ、何の表情もない、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変わっていた。

 旧師飛衛は、紀昌のその顔を見て「天下の名人だ、我らは彼の足元にも及ばない」と叫んだ。

 皆が紀昌の技を見たがったが、紀昌は一向に応えようとしない。どころか、弓さえ手にしない。紀昌が弓に触れなければ触れないほど、人々は彼の無敵を噂した。紀昌の屋敷には射道の神がいる、紀昌が古の名人と雲の上で腕比べをしているのを見た、と。

紀昌の晩年 

 名声の中、老いる紀昌。顔はさらに表情を失い、語らず、呼吸の有無さえ疑われるほどだった。老いた紀昌は知人宅で一つの器具を見た。見覚えがあるのだが思い出せず、その用途を知人に尋ねた。問われたその人は、紀昌が冗談を言っているのか思い、笑って応えなかった。紀昌の3度目の問いかけに驚き叫んだ。 

「古今無双の射の名人が、弓を忘れ果てられたとや?ああ、弓という名もその使い途も!」その後、都では、画家は絵筆を隠し、楽人は絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。 

 

 紀昌のストイックな姿勢、大好きです。

 『日本の弓術』という本に、阿波研造という人物が登場します。弓聖と言われた達人です。この本と合わせて読むと「道」とよばれるものがうっすら見えてきます。『日本の弓術』の阿波氏の言葉を借りると「無術の術に至る道」を、また、この『名人伝』の言葉では、「芸道の深淵」を覗き得ることができます。 

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