読書生活 

本もときどき読みます

読んでもらえる文章とは。些末な文章技術より大切なこと

こんな文章なら読んでもらえる 

 先日、「こういう記事は読んでもらえない」という記事を書きました。  

www.yama-mikasa.com

『読ませる技術』という本に書いてあったことをもとに、読んでもらえない記事として、こういうものをあげました。

・わがままな記事(作文技術の拙い記事)

・偉そうな記事

・苦労話

・言い古された社会への不満

・自分史

これらを踏まえ、どんな記事なら読んでもらえるのか考えてみました。

 わたしがこれから書くことは、先の一つ「偉そうな記事」にあたります。なので、読んでもらえないとは思いますが‥書きます。

 では、いきましょう。こんな記事なら読んでもらえる!

とにかくおもしろい話

 おもしろい話は絶対に読まれます。誰もが書けるわけではないのが残念です。こういう話を書ける方は、のちに人気作家となるのでしょう。

 本来なら、こういったナチュラルボーンライターの書いた作品を俯瞰して、共通点を見出す作業を行うのが筋なのでしょうが、それはわたしには荷が重いのでパスさせてください。ただただ読み手として楽しみます。

稀有な体験記

(1)とことん珍しい体験

 失恋したとか、母親が家を出て行ったとか、そういうものではありません。

 「5つ子を生んだ」とか「実は家でパンダを飼っている」とか「宇宙人に拉致された」など、普通の人生ではまず起こらない体験をした方は、その体験を書けば読まれます。

 文才のある方なら、実際に体験していなくてもやったつもりで書けば読まれます。体験も文才もない方は、今からやってみればよいのです。そして、それを詳細にメモして記事にしましょう。動画を撮ればユーチューバーになれます。宇宙人に拉致されるのは難しいかもしれませんが、宅配業者にチェーンソーを持って乗り込むくらいならできそうです。度が過ぎると、読者に引かれるだけでなく警察に逮捕されるので気をつけてください。

(2)成功者が語る成功する方法

 どのジャンルでも構いませんので結果を出しましょう。そして、自分が歩んできた道を先達としてわかりやすく書けば、その分野に興味のある方からは読んでもらえます。

 偏差値40のギャルが慶応に受かった話や、荒れ狂うヤンキー高校のラグビー部員を溢れる愛と情熱で指導し、わずか数年で全国優勝させた監督の話などがこれにあたります。

 有名になれば、多少内容はともなわなくても読んでもらえる可能性はぐんとあがります。知名度は信頼の証です。

(3)とことんやらかしてしまった話

 成功話だけではありません。それ以上に失敗談も読まれます。ただ、万引きやケチな横領ではだめです。世間をあっと言わせるくらいの、どでかいことをやらかしましょう。

 例えば、自ら社長を務める会社の金を100億円以上もカジノにつっこみ全額スッたあげく横領罪で逮捕されるとか、長髪にサングラスという変わった風体で聴覚?に障害のある音楽家を演じていた方のゴーストライターとして作曲活動をするもその方と折り合いが合わなくなり暴露するとか(この方は、やらかしたと言えるかどうかは微妙ですが)、これくらいのビッグな話です。

 多くの人に読まれようと思うなら、これくらいのインパクトが必要です。その点、有名人は失敗のハードルがそれほど高くありません。一般人の書く不倫本は誰も読みませんが、ベッキーのそれならかなり売れると思います。

まだ誰も言っていないけど多くの人の共感を呼べる気づき

 「言われてみればそうだなあ」と多くの方に思ってもらえる文章は読まれます。先日放送されたドラマ『アンナチュラル』の第一話の冒頭に、こういうシーンがありました。録画されている方は見てください。弁当を食べる石原さとみさんに言った市川実日子さんのセリフです。

問題は名前。例えば花粉症。今や国民病とまで言われているけど、花粉症というのは名前がつくまで誰も知らなかった。

これです。誰かが名付ける以前にも、花粉症の人はたくさんいたことでしょう。長い間みんな黙っていたのです。これを最初に発表した論文は読まれました。関連する書籍も売れて、みんなが花粉症を認知するようになりました。

 心の片隅に引っかかりながらも意識の表層にあがってこない些細な疑問、なおかつそれが多くの人の「あるある」を得られるもの…これを書けば読んでもらえます。なんだろうなあ、うーん。

 ただ、世の流れに安易に反対するのはやめましょう。こういう声は一つ間違えるとただのクレーマーと思われます。正論になればなるほど拒絶する人も増えるでしょう。事実をきちんと調べたり、ソフトな書きぶりにしたりと工夫する必要があります。  

今まで誰も考えつかなかったモノの組み合わせ

 無から何かを生み出すのは至難の業です。それより、既存のモノを上手に組み合わせて新しく何かを生み出すことの方が現実的です。 

 例えば、『もし文豪たちが、カップ焼きそばの作り方を書いたら』。「文学」と「カップ焼きそば」の組み合わせ、おもしろいです。読みました。 

 少し古いですが、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』もそうです。これは、先にあげた「まだ誰も言ってないけど多くの人の共感を呼ぶ気づき」をさらに発展させて「会計学」と絡めています。 

ブログで読まれる文章について

 書くことで生計を立てるなら、今あげたような文章や記事を書く必要があるでしょう。相当数の方に読んでもらわないと、明日の生活に困りますからね。

 ただ、趣味のブログはこれとは少し違うと思います。趣味というのは「収入の柱ではない」という意味です。付け加えるなら、その活動が好きで、暇な時間をそうやって過ごすことが楽しいという意味です。趣味ってそういうものでしょう。釣りバカ日誌のハマちゃんだって、さぼりまくってますが一応会社行ってますからね。暇な時間にやる好きなこと、それが趣味です。趣味がない人は暇を持て余します。趣味がある人は退屈しないんですよ。読書にスポーツ、映画にブログ、趣味があるって素晴らしい。

 プロブロガーの方は、これ以降は読む必要はありません。

 楽しいからブログを書く、でも、どうせ書くなら1人でも多くの人に読んでもらいたい、今から書くのはそういうレベルの話です。勘違いしないでくださいね。レベルが低いということではありません。釣りバカのハマちゃんは、釣りにやたら詳しいけど、プロの漁師ではないしそれを目指しているわけでもない、そしてすごく幸せそうでしょ。ハマちゃんが釣りについて熱く語っている様子を見て、「素人のくせに」なんて野暮なこと、誰も言いません。そういう話です。

 ここからの内容は、さらに一般性が薄まり、より、「わたし」の個人的な感じ方が強くなります。というより、わたしの勝手な思い込みです。主語は「わたし」にチェンジです。

 

その「人」が感じられる文章 

 わたしは、書き手の内面がわかる記事が好きです。わたしがいつも拝読させていただいているブロガーの方々の記事は、必ずしも稀有な体験というわけでも新しい発見というわけでもありません。でも、わたしは楽しくそれを読みます。なぜなら、その文章に「リアルな人間」を感じるからです。自分がブログを書き始めて気づいたのですが、匿名ブログの記事に、ここまで人間を感じるとは正直驚きました。

 記事を重ねて読んでいくと、少しずつその記事主がうっすらと像をなして立ち上がるわけです。わたしが読んでいるブログの管理人を紹介しますね。 

 

もう一度、一緒に趣味の山登りができることを願って、奥様の介護を一生懸命されている方

 

お子さんたちと週末楽しく映画を観てらっしゃる方

 

わたしと同じ神奈川在住のかなりイッちゃってるEDの方

 

定年後の時間を、奥様や愛猫と共に丁寧に過ごしてらっしゃる方(これまた同じ神奈川にお住まいです。車で鹿児島まで行かれたんですよね)

 

瞑想と運動と野菜の必要性をつねに訴えているキレッキレの方

 

年に数回しか記事を書かないのにその記事で1000以上のブクマをきっちり集める恐ろしい方

 

社会人3年目のカメラ好きな方

 

会津に住んでるツイッターのアイコンのイラストがとても美人な方(実物もきっと美人!)

 

…まだまだいます。ここでリンクを貼りたいのですが、そうすると先方に通知が行きますよね。直接やりとりした方はほんの数人でして、中には怖そうな方もいるのでこれくらいでご容赦ください。

 普通に生活していると、学歴や能力や考え方など、どうしても自分と同じような人たちに囲まれがちです。でも、この方たちはわたしと全く違う(ように感じます)。こういう方々の存在を知り、ネットとはいえ微かにつながり、ものの見方や考え方を知ることができる、それが、わたしの読むブログの文章です。

 

 書いていて思いました。みなさんがブログを書く理由はなんですか?何のために書くのか、次はそれについて考えてみたいと思います。小学生の日記のような結びになりました。