読書生活 

本もときどき読みます

リスクを過小評価して平時の生活をした者の末路をパニック映画から推測する

2度目の緊急事態宣言が出されて2週間が経ちました。「感染力の高い危険な伝染病が流行しているので、家から出るな」ということのようです。

1度目は4月の1ヶ月間でした。それが解除されて、今、2度目。この宣言が解除されるのは2月上旬みたいです。

 

不思議に思うのは、先の、

「感染力の高い危険な伝染病が流行しているので、家から出るな」

という指示を解除する言葉は、

「もう危険な伝染病に感染する心配はなくなったから、外に出てもいいよ」

しかありません。

「まだ感染の危険はありますが、みなさんが家にこもっていると経済活動が停滞するので、外に出て金を使ってほしい」

というのは、切実な言い訳ですが、外出を許可する論理的根拠とはなりません。

 

映画「ジョーズ」と同じです。署長はサメが近くの海をブイブイ泳いでいるリスクを重くみて、遊泳禁止を提案します。ところが、市長と街のビジネスマンたちは客が離れることを恐れて、遊泳禁止の解除を要求します。市長たちの言い分が通った後、巨大ホオジロサメが遊泳客を襲い、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開する‥。見てない?見なさいって。おもしろいから。

似たような話のパニック映画を何十本と見ました。一方に「非日常的なリスクの切迫」を言い立てる人がいて、他方に「日常生活の平穏と利便性が失われること」を望まない人がいます。どちらにもそれぞれの言い分がありますが、わたしが見てきた何十本という映画のすべてが、「リスクの切迫を信じて、生き方を変えた人」が生き残り、「リスクを過小評価して、平時のままでいること」を選んだ人は、皆死んでいます。

 

「ジョーズは生きていますが、最近は人を襲ってないので、泳いでもいいですよ」

と言われて泳ぐ人はいないでしょう。ジョーズを殺さない限り、そこでは泳げません。伝染病を退治することは、ジョーズを殺すより大変なことです。退治するまでは泳げないし泳がすべきではないです。でも、そうすると、町の産業は衰退してしまいます。

 

結局、コロナが収まるまで、国が産業に補助金を出し続けるしかない。これが、何十本ものパニック映画を見てきたわたしの出した結論です。でも、こうしている間にも、たくさんの人がクビになり、会社は倒産し、店は潰れています。これは…。

 

ジョーズがいるのに海で泳ぐ、ジェイソンがいるのにみんなから離れてイチャつく、このような行為の代償は100%の「死」です。映画では、こういった役は若いアホなカップルと相場が決まっているのですが、現実世界ではおっさんや老人がその役を頼まれてもないのに率先して引き受けています。

わたしは閉じこもって本を読んでいます。仕事にも行きたくないですが、行かないと食べていけないから行ってます。