読書生活 

本もときどき読みます

行先不明のバス

 駅のベンチで、「日本史B一問一答」を開いていた。次の共通テストで高得点を取るためだ。別に大学受験をするわけではないのだが、趣味と軽い実益を兼ねて勉強してる。「長屋王」「藤原四子」なんて本当に久しぶり。話が飛んだ。今回はそんな話をしたいのではない。

 「武智麻呂房前麻呂宇合」とぶつぶつ言っていると、「歴史が好きなんですか」と声をかけられて顔を上げた。阿佐ヶ谷姉妹にそっくりな2人組の女性がにこやかにこちらを見ている。ベンチの隣に置いてある私の荷物をチラチラ見ているので、「ああ、荷物、ごめんなさい」と荷物を私の膝に乗せると、阿佐ヶ谷姉妹の姉がすかさず私の隣に座り、妹が私の前に立った。

 阿佐ヶ谷姉妹の姉(以降姉)が、「歴史の勉強してるんですか?」と聞く。広瀬姉妹ではなく阿佐ヶ谷姉妹。突然降りかかってきた災難に席を立とうとも思ったが、ブログのネタにしようと思い、この事態に踏みとどまることにした。妹が「どの時代が好きですか」とさらにグイグイくる。「いやぁ、まぁ、全般的に…、勉強を…。」と曖昧な返事をした。「奈良時代の政権担当者の変遷を覚えることができず、困ってます」と言っても引かれるだろうと思ったのだ。

 すると「ズバリ、鎌倉時代なんてどうですか?」と姉が畳み掛けてきた。カマクラ。彼女たちの真意をはかりかねていると、今度は、「あなたの人生の目的とは何ですか」と角度の変わった質問をしてきた。「人生の目的を知らずに生きているのは、行先不明のバスに乗っているのと同じですよ。」そして、妹がカバンから1枚の紙を取り出しながら、朗々と語り出した。「鎌倉時代の日蓮聖人は…」

 ここから先はもう書かない。阿佐ヶ谷姉妹の、本当にスッキリした、まるでソープに行ってきたばかりのような顔を見て、何かを信じて生きることのハッピーさを知った。何かを信じ込むことで、人生の目的はよく見えるようになるらしい。そのかわりにいろいろな煩悩や不安(出世欲とか承認欲求などの欲や煩わしい人間関係とか)は見えなくなるらしい。

 阿佐ヶ谷姉妹は、日蓮聖人の偉大さを熱く語ったあと、笑顔を浮かべて去っていった。私はもう少しこの行先不明のバスに乗り続けるつもりだ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。