盛り上がる中編
長岡藩に戻った継之助は、重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出します。
そして、大政奉還へ。
誰もが責任逃れに回り、筋の通った意見を言おうとしません。
そのとき、継之助は言います。
「諸藩は事なかれできた。幕府に対し、わずかの過失をもおそれ、ひたすらにくびをすくめ、過ちなからんとし、おのれの本心をくらまし、責任をとらねばならぬことはいっさい避けてきた。もはや、その幕府も無い。これからは諸藩はおのれの考えと力で生きてゆかねばならぬ。もはやそのときにあたって三百年の弊風をいまだにまもるとはなにごとであろう」
先日、仕事でこんなことがありました。
危うくなったチームに対し、上司がそのチームの方針を新たに提案しました。
それにチームの長が反対しました。
「もっと私たちの意見を聞いてほしい」
「そのようなトップダウン方式で決定するような時代ではない」
とのことでした。
それを受けてその上司は一喝。
「今まで何度も計画を変更する機会はあったはず。君には部下に指示する機会もあったし、部下の意見を聞く機会もあった。計画はあきらかにうまくいっていないのに、君は何もしていなかった。君は目の前の業務には忠実だったかもしれないが、一歩引いて全体を俯瞰することを怠った。厳しい言い方かもしれないが、この計画変更は、君が漫然とした仕事しかしてこなかったつけだ。」
これを目の当たりにし、継之助を思い出しました。
主張しましょう、間違っていると思ったことには、折れずに向かいましょう。
継之助は陽明学派でした。
陽明学によると、思ったことは行動にうつさなくてはならないとのことです。
川でおぼれている子どもを見て、誰もがかわいそうだと思う。
問題は、「そこから行動にうつせるか」だそうです。
「かわいそう」で終わらずに、「川に飛び込むことができるか」どうかです。
陽明学では、成功しそうだからやる、失敗しそうだからやらない、こういう考え方が 最もいけないと言います。
「正しいことを知っていてもやらなければ知らないのと同じ」
「勝ち負けじゃない。やったかどうかだ」
ということと私はとらえています。
ごみ集積場のごみ袋が破れて散乱していたら、汚いな、と思います。そこを通り過ぎようとすると、継之助が私に言います。
「お前はそれでいいのか」と。
私はごみを拾います。
ちょっと生活が大変になりますが、心があらわれます。
そういえば、先月、埼玉の女子高生が道路に散乱していた古紙をたった一人で回収していて、地域の警察署長で表彰された、なんていう記事を見ました。
ここにも若い継之助がいました。ほっこりします。