集団下校
小学生のとき、集団登校をしていました。地区ごとに朝決められた場所に集合し、2列で登校する、というものです。
わたしは今、実家とずいぶん離れたところに住んでいますが、このあたりでは行われていないようです。
2列の並び方にはきまりがありました。女の子や下級生が内側を、高学年の男の子が外側を歩く、というものでした。
その理由を、高学年の男の子は先生からこのように聞かされていました。
下級生がふざけて道路に出ないようにする。
女の子を車から守ってあげる。
これ、ほんとですよ。わたしたち少年は、この言葉をつねに念頭に置き、地区の子どもたちを安全に学校まで送り届けていました。「女の子は守ってあげるもの」、かっこいい。
当時はまったく疑問に思っていませんでしたが、学生になってこの話を周囲にしたら、他県の人間にさんざんつっこまれました。「どうやって守るんだ。車が来たら受け止めるのか、それとも、女の子をつき飛ばして自分だけひかれるのか」と。
わたしはそのつもりでした。当時はちびで非力でしたが(今は背だけ伸びました)、気分は男塾の塾生でした。ただ、無茶ですよね。
こんなことすっかり忘れていたのですが、先日、このルールのルーツらしきものを見つけました。『若きサムライのために』三島由紀夫です。
西洋の男は子どものときからしつけられているので、女と一緒に歩いていると、自然にオートマチックに女を建物の側にかばい、自分を道路の側にかばい、自分を道路の側に置くという習慣がついている。
なにい!この習慣は地方ルールどころか、日本を通り越して、世界的ルールだったとは!
この習慣は、十九世紀のビクトリア時代に固定し、主として馬車に乗っていた時代につくられたものである。
車の発明の前からこのルールあったんですね。女性を馬車から守っていたのでしょうか。
と思いましたが、違うみたいです。
当時はたとえロンドンであっても、道の中央には馬糞がころがり、馬車は泥濘をけたてて進んできた。もし男がかばってやらないことには、女はいつ馬のくそを踏んづけるかもしれず、また、その裾長の着物に泥をひっかけられるかもしれなかった。そこで必然的に男が道路側を歩むことになったのである。
なんと、わたしたち少年は、女性のうんこよけだったのです。もう、うんこは落ちてない。いや、わたしが子どものときもうんこは落ちてなかった。逆に歩道側の方にこそ、ねこや犬のうんこが落ちていて、彼女たちはそのうんこをしばしば踏んでいました。
今もそのルール、のこっているのかなあ。